神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(“陽ノ元”は、自由に行き来できる世界(くに)ではないのに……)

それを、咲耶はどこか簡単に考えていた──そう、“陽ノ元”に召喚され、観光気分でいた当初そのままに。

何も事情を告げずに、“陽ノ元”にいることはできない。だから、自分が“陽ノ元”に居ることを伝えられれば良いと。
きっかけはともかく、犯罪に巻き込まれたのではなく、咲耶の意志で“陽ノ元”にいるのだと。
そう説明することができれば、里枝たちを心配させることはないのだと思いこんでいた。

(もう二度と会えないって言うのと、同じなのに)

永遠の別れを告げるようなものだ。
それが、死と同義でないと、どうして言えるだろう。
咲耶が目を背けてきた本当の理由が、そこにはあったのだ。

(結局……私の決断は、お母さんを悲しませることになるんだ……)

説明しようがしまいが、生きていようがいまいが。
“陽ノ元”という世界に行くことは、この世界のすべてとの決別を意味する。

“陽ノ元”にいる時は実感がわかなかったが、こうしてこの世界に戻ってきたことにより、その重大性が身に染みて分かる。
一葉の指摘通り、自分は浅はかで愚かな人間なのだと思い知らされた。

「……人は愚かなものですよ。あなただけではありません」

どこか自嘲(じちょう)的な響きを宿す言葉。
真意が分からずに一葉を見つめ返すと、やや視線を外される。顔を覆うように、一葉は眼鏡のブリッジを上げた。

「それに、あなたが思うよりも、この世界は……いや、『神々の世界』は、残酷にできています。
あなたが“神獣”サマを想えば想うほどにね。いっそ出逢わなければ良かったと思うはずですよ」
「どういう……意味ですか?」

話の成り行きに、咲耶は眉を寄せる。
これまでの調子を一変させ穏やかに話す一葉の態度に、逆に不穏なものを感じてしまう。

「聞きたいですか?」

もったいつけた物言いでちょっと笑うと、一服すると言い残し、一葉は車外に出て行く。
追いかけて、咲耶も車を降りた。

「……心の準備は、しなくてもいいんですか?」
「嫌なことはさっさと済ませてしまう性質(たち)なので」

くわえタバコでからかうように咲耶を見る一葉を、キッとにらみつける。
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