神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「でも、あなたは本性(ちから)真名(なまえ)も失わなくていい。私がこれから先を生きる世界は、“陽ノ元”だから」

きっぱりと告げた咲耶を、驚いたように和彰が見返す。

「咲耶、何を言っている?
お前が生まれ育ったのはこの世界だ。ここにはお前の親兄弟や友人知人も大勢いるのだろう? 無理に手離す必要はない。
お前の望み通り、私も『霜月柊』として、お前の側に在るつもりだ」

強くにぎられた咲耶の右手の甲にある、白い“(あと)”。それを刻み付けた本人が、咲耶に“花嫁”である必要はないと言う。

“神獣”である和彰と、“花嫁”である自分。ふたりをつなぐ“(あかし)”。
目に見えるこの存在(・・)に、どれだけ励まされてきたことか。

「和彰。私は、この世界では『ただの松元咲耶』なの。
だけど、“陽ノ元”に戻れば“神獣”の“花嫁”として、やれることがまだまだあると思う」

咲耶は、大きく息をついた。自分のなかに、もう迷いはない。

「この“役割”は、あなたが私に与えてくれたものでしょう? 何も持たなかった私にくれた、大切な“神力(ちから)”。
だから私は……あなたの本性も真名も、失いたくない」
「咲耶……」
「あなたの側で、あなたの司る力を代行するのが、私の望みなの」

言って、咲耶は和彰をじっと見つめた。和彰も、ただ咲耶を見つめ返してくる。
交わる視線は互いの想いを伝え合い、譲れぬものを見極めようとしていた。

やがて咲耶を見つめる青みがかった黒い瞳が、咲耶の真意をくみとったように、強い光を放つ。

「分かった。お前の望みを叶えよう」
「……ありがとう、和彰」

肩の荷が下りたような心地で、咲耶は微笑む。

思えばいつも、目の前の“神獣”の“化身”は、咲耶の想いを尊重してくれていた。
だからこそ咲耶は、この身を賭して、白い“神獣”の“花嫁”でありたいと、前を向いて来られたのだ。

「あとね、和彰。もうひとつだけお願いがあるの──」

それは、一葉が聞けば一笑に付すだろうが、咲耶にとっては重要なことであった。



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