神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「よく『こちら』に戻る気になったな」
正面を向いたまま、玲瓏な声音が告げる。
視線の先の中庭では“眷属”たちが寸劇を披露していた。
強欲な老夫婦と善良な老夫婦が出てくる寓話のようだ。強欲な老夫婦を犬貴と犬朗、善良な老夫婦をたぬ吉が“変化”で二役演じ分け、転々が狂言回しをしている。
(犬貴、棒読み過ぎる……)
咲耶は思わず、笑みをこぼした。
「こちらで……大切なものを、たくさん見つけてしまいましたから」
濡れ縁に並べられた膳には酒と、蘇と呼ばれる乳製品の固形物や、貝と小魚の甘露煮があった。
犬朗が海から獲ってきて捌いた、魚の刺身もある。
それらには手を付けず、淡々と百合子は話を続ける。
「私は『こちら』に来る直前、肉親をすべて失っていた。美穂も、幼い頃に両親を亡くしたと聞く。
だが、お前はそうではなかった」
咲耶の右隣に百合子を挟み、その隣にいる闘十郎が、タヌキ耳の少年と犬と猫の芝居を囃し立てていた。
「私があの時……お前がまだ“仮の花嫁”であるうちに、元の世界に帰ることを強く勧めていれば──」
「百合子さんに、責任はないですよ。決めたのは私ですし」
“陽ノ元”に来て日が浅いうちであれば、咲耶が深く思い悩むこともなかっただろう、と。
憂いを帯びた眼差しを半ば伏せる黒い“花嫁”に、咲耶は覆い被せるように否定した。
話題を変えるため、徳利を両手に掲げる。
「さ、呑んでください。にごり酒と清酒、どっちにしますか?」
「……お前の盃は水か」
「私、下戸なもので」
「では私も」
「いえいえ、百合子さんは遠慮なさらずに。ささ、どうぞおひとつ」
にっこりと笑って見せれば、めずらしく表情を和らげて百合子が微笑んだ。
「では少し、いただこう」
困ったようにも見える笑みに、咲耶は一瞬、手元を狂わせかけながらも、なんとか酌をする。
「……なぜ震えている」
「や、百合子さんが綺麗すぎてまぶしくて、つい……」
「ハクコを従えておきながら、いまさら何を言う」
正面を向いたまま、玲瓏な声音が告げる。
視線の先の中庭では“眷属”たちが寸劇を披露していた。
強欲な老夫婦と善良な老夫婦が出てくる寓話のようだ。強欲な老夫婦を犬貴と犬朗、善良な老夫婦をたぬ吉が“変化”で二役演じ分け、転々が狂言回しをしている。
(犬貴、棒読み過ぎる……)
咲耶は思わず、笑みをこぼした。
「こちらで……大切なものを、たくさん見つけてしまいましたから」
濡れ縁に並べられた膳には酒と、蘇と呼ばれる乳製品の固形物や、貝と小魚の甘露煮があった。
犬朗が海から獲ってきて捌いた、魚の刺身もある。
それらには手を付けず、淡々と百合子は話を続ける。
「私は『こちら』に来る直前、肉親をすべて失っていた。美穂も、幼い頃に両親を亡くしたと聞く。
だが、お前はそうではなかった」
咲耶の右隣に百合子を挟み、その隣にいる闘十郎が、タヌキ耳の少年と犬と猫の芝居を囃し立てていた。
「私があの時……お前がまだ“仮の花嫁”であるうちに、元の世界に帰ることを強く勧めていれば──」
「百合子さんに、責任はないですよ。決めたのは私ですし」
“陽ノ元”に来て日が浅いうちであれば、咲耶が深く思い悩むこともなかっただろう、と。
憂いを帯びた眼差しを半ば伏せる黒い“花嫁”に、咲耶は覆い被せるように否定した。
話題を変えるため、徳利を両手に掲げる。
「さ、呑んでください。にごり酒と清酒、どっちにしますか?」
「……お前の盃は水か」
「私、下戸なもので」
「では私も」
「いえいえ、百合子さんは遠慮なさらずに。ささ、どうぞおひとつ」
にっこりと笑って見せれば、めずらしく表情を和らげて百合子が微笑んだ。
「では少し、いただこう」
困ったようにも見える笑みに、咲耶は一瞬、手元を狂わせかけながらも、なんとか酌をする。
「……なぜ震えている」
「や、百合子さんが綺麗すぎてまぶしくて、つい……」
「ハクコを従えておきながら、いまさら何を言う」