神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
(この声……綾乃さんと、犬貴だ)

咲耶は台所に入りかけた足を、思わず止めてしまう。

会話の意図する方向に、目の前で扉が閉ざされた気がしたからだ。以前に犬貴に対して感じた、立ち入れない心の領域。

「もとより、それがそなたの願いだったはず。違うかえ?」
「私は……」
「白い“花嫁”の“神力”が、“神逐(かむや)らいの(つるぎ)”を上回ると証明されたいま、萩原家は愚息にとって脅威にはなるまい。
そなたの『役目』は(しま)いじゃ」
「ですが、私は……」
「もっとも」

直後、綾乃の澄んだ高い声は、咲耶の背後でした。

「このように、立ち聞きが趣味という品のない“主”が良いというのなら、話は別じゃがな」

驚いてビクッと身を縮めた咲耶は、小柄な美少女の手によって背中を強く押しやられる。

気まずい思いで台所に入れば、黒い虎毛犬が深い色合いの瞳で咲耶を見下ろしてきた。

「……咲耶様」
「返答はすぐにでなくとも構わぬ。
愁月の身体は、もうしばらく持ちこたえそうじゃからな」

この場にいる咲耶など眼中にない素振りで、可憐な美少女は犬貴だけを艶然と見つめていた。

「クロよ。そなたが賢く忠実な下僕(しもべ)であることは、妾が一番に知っておる。
よもや──妾を悲しませる選択は、すまいな?」





「こちらへは、何用でございましたか?」

言うだけ言って綾乃が消え失せると、生真面目な“眷属”は咲耶にそう訊いてきた。

「あの……茜さんも美穂さんも、結構お酒を呑むペースが早くて……」

綾乃の残した言葉を思い、咲耶は気もそぞろに受け応える。

「……配膳は私と椿の務め。咲耶様はお席に戻られるのがよろしいかと」
「でも私、なんの役にも立ててないし……」

おまけに、立ち聞きをする“主”だ。

咲耶は、先ほどの綾乃の指摘を思い、ため息を禁じえない。

(ああ、私きっと、犬貴にあきれられてる)

そして、自分と和彰に懸命に仕えてくれた“眷属”は、もとの“主”のもとへと戻ってしまうのだろう。

「そのようなことはございません。
貴女様のための宴なのですから、場におわすだけで皆が喜ぶことでしょう」
「……犬貴、綾乃さんのところに戻っちゃう……よね?」
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