神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
訊いても栓無いことが、つい口をつく。
困らせてしまうことが解っているのにあふれた想いは、この“眷属”が自分と和彰にとって大切な存在であるからだ。

(選ぶのは犬貴。だけど──)

失いたくない。それは、伝えるべき想いだろう。

「咲耶様」

静かに呼びかけてくる声音は、まるで駄々っ子をあやすような優しい響き。
そこに含まれるものに気づき、咲耶は続く言葉をさえぎってしまう。

「ごごごめん、犬貴! 私、ちゃんと覚えてるよ? 犬貴が前に、私に話してくれたこと。
その……綾乃さんとの、こと」

だから、と、言いかけた咲耶の前に、黒い甲斐犬が「では──」と、片ひざをついた。

「私が以前に申し上げたことも、当然、覚えておいでにございますね?」

ふっ……と、笑うような気配がしたのち、咲耶の右手を犬貴の前足が、そっとつつみこむ。

「私の信義と忠誠は終生変わらず、貴女様とハク様のものだと申し上げたことも」

自らの額に咲耶の右手を掲げるように、犬貴の前足が導く。咲耶の指の背が、黒い甲斐犬の毛並みに触れた。

「……私を『兄』のように想うと、おっしゃられたことも」

落ち着いた声音が、そこだけ熱に浮かされたように、ささやかれる。その真意を、咲耶は確認せずにはいられない。

「ほ、本当に、いいの? 私たちに気を遣ってるなら、ダメだからね? 嬉しいけど、そこは違うと思うし」

犬貴に、咲耶たちを選んだことを後悔して欲しくはない。ましてや、自分の想いを殺してまで尽くしてもらうなど、論外だ。

だが、そんな咲耶の心中をよそに、精悍な顔立ちの虎毛犬の眼は、まっすぐにいまの“主”の片割れを見返してきた。

「私は嘘は申しません。
それに、ご心配には及ばないかと存じます。綾乃様の先ほどのお言葉は、お戯れにございますから」
「……そうなの?」
「はい。それが証拠に『自分を悲しませるな』と告げていかれた。
綾乃様が何をもって悲しむかは、咲耶様もご存じでございましょう?」
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