神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
綾乃が犬貴に託したのは、和彰の身を案じ、行く末を見守ることだったはず。

初めて綾乃が咲耶に【姿を見せた】のは、和彰の“神の器”が死に直面していた時──初めて咲耶が、和彰の真名(なまえ)を口にした時だ。
それを思えば、なるほど、いまさら犬貴を“眷属”にと望むのは、道理に合わない。

(なんか、綾乃さんも愁月と同じで、解りにくい愛情表現だな……)

そのふたりから生まれた和彰が自分の感情表現が不得手なのも、なんだか解る気がするというものだ。

「あの方は、咲耶様がいらしたのに気づいて、わざとあのような物言いをなさったのです。ですから、咲耶様──」

咲耶の右手をつつむ犬貴の前足に力がこもった、その時。

「あーっ! ンだよ、犬貴! てめえ、いつも俺にはハレンチ犬だなんだって言っといて!」

かすれた声音と共に、背中にどっしりとした重みを感じた。赤い虎毛の前脚が咲耶の首に回される。

「つーワケで、俺も咲耶サマ、補ぉ充ぅ~ッと!」
「け、犬朗、重いってば」

後ろから抱きつかれ、よろめきそうになる咲耶を支え、犬貴が短く吠えた。次いで、隻眼の虎毛犬に向かい怒鳴りつける。

「貴様ッ! いきなりやって来て何をしている!」
「は? お前こそ、こんな所でナニしてんだよ? コレって抜け駆けだろーが」
「ハッ。私を貴様のような破廉恥な駄犬と一緒にするな! 私は咲耶様と大事な話をしていたんだ」
「はぁああ? 手ぇ握ってなんの話してたっつーんだよ! このむっつり助平イヌ!」
「……貴、様ッ……今日という今日は、その腐った性根を叩き直してやる! 表に出ろッ」
「おう、上等じゃねーか、受けて立つぜ!」

(ああ、もう、なんでこうなるかな……)

犬貴も犬朗も、ひとりひとりは落ち着いていて頼りになる存在だ。
しかし、この虎毛犬たちは、寄ると触ると子犬のようにじゃれ合い始める。風体は大型犬なだけに(たち)が悪い。

「──……騒々しい」

一向に止みそうもなかった不毛な争いに終止符を打つ、ひと声。
かつて赤い虎毛犬が『絶対零度』と表現した、白い“神獣”の冷ややかな声音であった。
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