神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
また、お前がハクコを【想うだけ】で、奴がお前を助けに来ることも。──だが」

のどに置かれた百合子のひじに、ぐっと力が入り、咲耶は嘔吐(えず)きそうになる。

「私が今、お前ののどをつぶす。お前は瀕死の状態となる。中途半端な“仮の花嫁”は、すぐには死ねない。
苦しんで、もがくお前を終わらせてやるために、その首をへし折ってやろう。それで、死ねるはずだ」

そんな恐ろしいことを、実行する能力も気力も持ち合わせているのだと、百合子は言っていた。

(どうして百合子さんは、こんなことをするの──?)

咲耶の訴えかける思いに気づいたように、百合子は冷たく笑った。美しさと残酷さを秘めた眼差しが咲耶に注がれる。

「人が人を殺めるのに、納得できる理由があると思うな。それは大抵、身勝手な心に基づく愚かな行いだ。理不尽なものでしかない。そして」

言うなり、百合子の腕が外され、咲耶は急に取り込めた酸素にむせ返り、反射で涙があふれた。身体中から力が抜け、その場にくずれるようにして座りこむ。

「……お前がいるのは、そういう世界だ。理不尽な暴力がまかり通る、場所だ」

先ほどまでの口調からうって変わった百合子の声は、何かをあきらめたようにも聞こえる、力のない寂しい響きのものであった。
咳き込みながら、涙でにじんだ視界のまま見上げれば、百合子の顔が悲しみに満ちていた。

「今なら、まだ間に合う。“仮の花嫁”であるうちは、お前や──私がいた【あの世界】に戻れる」

咲耶は驚いて、百合子をまじまじと見た。ゆっくりと、うなずき返される。

「帰れるのだ。今なら、まだ。……親御は、健在か?」

声が出せない咲耶は黙って首を縦に振ってみせた。百合子の目が、細められる。

「ならば、なおさら帰ったほうがいい。お前がいなくなったことを、案じているはずだ」

その言葉は、咲耶の胸の奥底をえぐった。あえて触れずにいた部分に、土足で踏み込まれた気がした。

「ハクコの“眷属”が、あの犬だけでは、お前とハクコが同時に窮地に追い込まれたとき、あれはどちらを選ぶと思う?
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