神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
実際お前はたやすく私の手に落ち、そしてハクコもその“眷属”も、お前を助けにくることはなかったではないか」

突きつけられる事実は、咲耶の心を、わずかに苛む。誰にも助けてもらえずに、死ぬかもしれない──。

……自分の感覚は、麻痺しているのだろうか?
それでも、咲耶の脳裏に浮かぶのは、白い幼い獣と生真面目な犬、年若い頑固な少女で。向けられた眼差しも言葉も、偽りのないものだと解るから──。

「私は、帰れません。というより……今日、いまさっき百合子さんに言われて、私、気づいちゃったんですけど」

泣きたいほど、愛しい感情。そんなものが、この短期間で自分のなかで育つとは、咲耶自身、思いもよらないことだった。

「帰れない……じゃなくて。私、どうやら、帰りたくないみたいなんです」

自然とこぼれ落ちる笑み。
最初は、ハクコに【求められるから】残るのだと思っていた。けれども、いまは。

「私が、ハクに、真実(ほんとう)の名前を教えてあげたい。ただ、そのために……帰りたくないんです」
「──愚かだな」

百合子の激情は去り、その瞳は、ふたたび冴えた静けさを取り戻していた。おもむろに立ち上がる百合子に、咲耶は思わず言った。

「百合子さんも……そうだったんじゃないですか? たぶん、美穂さんも」

帰れないから、この世界にいるのではなく。帰りたくない理由があるから、この世界にいる。だから、自分たちは“花嫁”でいるのだろう──。

「……いずな、戻れ」

咲耶に応えない百合子は、応えないことで咲耶の言葉を肯定していた。手もとに戻ったイタチを見せるように、百合子が言った。

「あとで、いずなに椿油を届けさせる」

──それが百合子流の、咲耶をこの世界に迎え入れるという、返答だった。




< 51 / 451 >

この作品をシェア

pagetop