神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「えーと……私も別に、どう呼んでくれても構わないかなぁ、なんて」
「しかし、それではけじめが……!」
「あ、でも私、犬貴にはいままで通り『咲耶様』って呼ばれたいけど……ダメ、かな? 犬貴にそう呼ばれるのは、好きだから」

今にも(うな)り声をあげそうな険しい顔つきでいた犬貴が、ピンと立った耳をわずかに伏せ、一瞬だけ固まった。直後、姿勢を正し、頭を下げる。

「……お望みとあらば、そのように致します、……咲耶様」
「柄にもなく照れてやがる。やだねぇ~」

隣の隻眼の犬が、からかうような声をあげた。今度こそ、犬貴が低く唸った。

「──貴様、表に出ろ。その腐った性根を叩き直してやる」
「おう、なんだ。やるってのか? いいぜ、ちょうど身体がなまってたからな、久々に……」

無意味な争いに発展しそうな虎毛犬たちに対し、あきれたようにハクコが息をつく。
咲耶にとっては見慣れたしぐさで何気ないものだったが、庭先にいた者たちには違った。瞬時に、場が凍りついたように、緊迫した雰囲気となる。

元の姿に戻っていたタヌキ耳の少年は、かしこまって座り直し、キジトラの猫は、びくっと身をすくめた。
そして犬貴は、我に返ったように姿勢を正し、赤虎毛の犬も、罰悪そうに前に向き直った。
それを見届け、ハクコが口を開く。

「くだらぬ争いは、咲耶から“約定の名付け”を受けたあとにしろ。椿、筆と硯を」

冷たく言い放つと、廊下の端のほうに控えていた椿を振り返る。ハクコは、自らの懐から三枚の短冊を取り出し、咲耶に手渡した。

「これには“呪”が施してある。書いたら、私に寄越せ」
「……にぎやかになりますわね、姫さま」

咲耶の側に硯を置き筆を持たせながら、椿がくすっと笑ってみせる。咲耶は微笑みを返し、それからハクコに目を向けた。

「私が、名前をつけていいの?」
「そうだ。お前が名付けることによって、この者らのなかで、私よりお前の生命(いのち)が優先される」

ハクコの言葉に、咲耶は気にかかっていたことを口にする。
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