神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
「つ、強い力をもつモノほど拒むことができる、特殊な“結界”らしいです……。だから、その……ボクらで咲耶様を、お迎えに来ました。
け、犬朗さんなら、もっと早く、咲耶様のもとにたどり着けたんでしょうけど……」
「ううん、そんなことないと思うよ。たぬ吉は、行動力はあると思うし。
愁月の声色も、そっくりだったよ?」

いまはタヌキ耳の気弱な顔立ちの少年に戻った“眷属”は、咲耶の言葉に、はにかんで笑う。

「ええっと……ボク、実は、誰かに化けていたほうが、その、うまく話すことができるっていうか。は、話しやすかったり、するんです……」
「そうなんだ?」
「はい。なんというか、その……その人になりきろうとする気持ちが、はたらくというか……。
あ、咲耶様! そちらじゃなくて、こちらの方向です」

草木が生い茂る道なき道を(なら)すようにして、たぬ吉が咲耶の前を歩き導いてくれる。
口調は頼りないが、足取りはしっかりしていた。
ハクコは、本当に良い“眷属”を見つけてきてくれたと、咲耶は思う。

(ハク……)

真実の名を呼ぶより、仮の名で呼びかけることに慣れてしまった存在。
当たり前のように、一緒に寝て起きて、食事をして。なのに、この一週間、会うことも声を聞くこともなかった。

(側に行けなくて、ごめんね)

咲耶は胸もとに忍ばせている布を、着物の上から押さえた。
──“契りの儀”の時に手渡された、ハクコの真実の名前が記されたもの。咲耶しか読めない、咲耶しか知らない、真名(なまえ)

「……咲耶様? だ、大丈夫、ですか……?
あの……お加減が悪いのでしたら、少し、休まれますか?」

気遣わしげに、たぬ吉が咲耶を振り返ってくる。
咲耶の胸のうちで、何か(・・)がキュッと縮こまった気がした。……転々も、心配してくれているのだ。

咲耶は浮かびかけた涙をはらうように、大きく息をついて、笑った。

つらい時こそ、口角をあげる。
そうして、のりこえなければならない時がある──いまが、その時だ。

「大丈夫。だって、犬朗ひとりを待たせてちゃ、可哀そうでしょ?」
「……そうですね、行きましょう」

いたずらっぽく言ってのける咲耶の真意をくんだように、たぬ吉は相づちをうち、前へと向き直った。
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