アシンメトリー
そんな不安も虚しく、その日を迎えていた。
朝からずっとその事ばかりが頭に浮かんでいた。
いつもと同じ日常、いつもと同じ時間が流れているはずなのに、私の目に移る世界はモノクロにしか映らなかった。
カバンの中に入れたあの人の今までの気持ちを詰め込んだそのチョコレートの箱を気にしながら、その箱を渡した瞬間、その全ての気持ちが溢れ出して、その気持ちが終わりを迎える情景だけはカラフルな世界だった。

あの人のいつもつり上がった眉が下がり、がっかりした表情はあまりにもリアルに頭に浮かぶ。

私は、体の全てを自分の机に預けうなだれる。
時計の針が時を刻むと同じ様に、心臓の鼓動も同じ様に動く。

そして、いつの間にか一日は終わり、私は愛と共に電車に乗ってあの人の元に向かっていた。
1年ぶりにあの人に会えると思うと口元は緩む。
でも、頭の中は最悪の結果ばかりが浮かんでいた。
横で笑う愛の笑顔に合わせながら、私も強がりな言葉を吐く。

本当は、傷つきたくなくて逃げだしたくてたまらないのに。
だって、全てがなくなる準備が、まだ出来ていないのだから。
電車の窓から見える見慣れた景色を見つめ、私はあの人の姿を思い浮かべていた。

一旦家へ帰ると、母に自転車を一台借り、愛と一緒に卒業した中学に向かっていた。
校門まで着くと、下校時間を過ぎクラブ活動が始まっているのか、ロータリーに下校する生徒の姿はほとんどなかった。
自転車を自転置き場に止め、歩いて校舎まで入ると心臓が痛いほど高鳴った。
それは、いつも見ていた景色が一瞬にして、あの頃の私に引き戻していたからだった。
すると、遠くから聞き覚えのある足音が聞こえる。
私はとっさにその方向に視線を向けると、あの人が職員室から出てきてこちらに向かって、相変わらずの仏頂面で歩いてくる。
あの人の姿を見つけた時、私は服の裾を思いっきり強く握りしめた。
そんないつも以上に緊張した私の姿を見ていた愛が言った。

「かおる、もしかして、あの人なん?」

私は何も言わずに、静かに頷く。

「めっちゃタイミング良いやん。こっちくるし、早く渡そう。」

そう言って、まだ心の準備も出来ていない私の手を愛が引っ張っると、目の前にきたあの人に目線を合わせ、声をかけた。


「あの、すみません!」

その声に反応したあの人が私と愛を交互に睨みつけた。
そして、その仏頂面はしばらくすると笑顔に変わっていた。

「なんや?久しぶりやな。今日はどないしたんや?」

その笑顔は、あの人の視線から愛ではなく、はっきりと私に対して向けられたものだと分かった。

愛は私の肩を叩くと、私の顔を見つめ、目で早く出せと合図した。

「あの…」

私は下を向きながら、右手で持っていた鞄の中を探ると、チョコレートの箱にはっきりと手が触れるのを確認した。

そして、私は勢いよく鞄から取り出し、あの人の前に差し出した。

「これ、受け取ってください。」

顔を耳まで真っ赤にしながら、私はあの人がどういう顔をしたのかさえも確認せず、下を向いたままだった。

少しの静寂の後、箱が引き寄せられて、私の手から離れたのがわかった。

顔をあげると、あの人は笑っていた。

「ありがとう。」

耳まで真っ赤にしながら、私が渡したチョコレートの箱を見つめ、照れ笑いをするあの人は、出会ったあの日から初めて見たあの人の姿だった。

私は、その姿を見た後、逃げるように、あの人の前から全速力で走って立ち去った。

でも、逃げたのは今までみたいに悲しいからなんかじゃなく、恥ずかしくて、胸が痛くて、嬉しくて、色んな感情が入り混じった不思議な気持ちだった。

そして、私もあの人と同じくらい顔が耳まで真っ赤になっていたのを隠したかった。

帰り道、自転車を後ろで走らせていた愛が私の名を呼び言った。

「かおるー!」

「何?」

「良かったな。チョコレート渡せて。なんかかおるが好きな先生ってめっちゃ可愛いな。あんな恐い顔して、意外と優しいんやな。」

それになんか熟してない果物みたいに青いと愛が付け加えた。

私は思っていた。

多分、先生は、熟してない果実の青さなんかではなく、フィルターのかかった誰も知らない色。

そう藍色のように、成熟した中にも私たちを理解しようとする優しさがみえる青ではない深みの中に暖かい何かが残るそんな色。

私はきっと、その時、初めてその色を思い浮かべた気がした。

昔の私なら、きっとずっとそんな色は知らずにいただろう。

何も答えずにペダルを力いっぱい漕ぐ私は、昔の自分を追い越した気がしていた。






















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