君と恋をしよう
今日は渋谷で
「渋谷で待ち合わせしてみたい」
萌絵(もえ)が言うから、わざわざ時間をずらして家を出た。
家は本来、徒歩で10分程しか離れていない。
待ち合わせは、定番のハチ公前。
人が多くて待ち合せも大変そうだけど、どうせならこれくらいしないとね。
「ねえ、ねえ! お返事くらいしてよー!」
男の声だが興奮した様子で高く聞こえた。その男の前で萌絵が真っ赤な顔をして、怯えた目でて小さくなっていた、三人の20代前半と思しき男達に囲まれて、完全に萎縮している。
「待ち人来ないなら、俺たちとさあ!」
「萌絵ちゃん、お待たせ」
僕が声をかけると、三人に睨まれた、少しビビるけど、そこは大人の余裕でにこやかに。
「友達も一緒だった? じゃあ待たせちゃったけど大丈夫だったね」
僕が言うと、三人は明らかな舌打ちをした。
「んだよ、パトロン付きかよ!」
他にもああだこうだと卑猥な言葉を発しながらもいなくなった、よかった。
僕は溜息吐く、安堵して、だ。喧嘩にならなくてよかった。
萌絵が下目遣いに睨んでいることに気付いた。
「ごめんね、遅くなって。あんな奴らに絡まれて怖かったでしょ」
慌てて謝った、彼女は男性恐怖症だ、特に年の近い男性は苦手らしい。
彼女はまだ22歳、春に大学を卒業したばかりだ。
「うん……」
言うけれど、まだ怒った様子だ。
「そもそもさ。家も近いんだから、わざわざ渋谷で待ち合わせしたいなんて言った萌絵ちゃんが悪い……」
言うと更にきつく睨まれた。
「もう……遅くなるよってメッセージしたでしょ……」
「違う」
彼女がはっきり言った。
「ん?」
「遅れたのはいいの。──萌絵ちゃん、は、なんか嫌」
「うん?」
「『ちゃん』って、なんか、凄く子ども扱いされてて……嫌」
って、怒るその顔は、本当に幼い子みたいで可愛いんだけど?
「うーん、じゃあ……萌絵?」
途端に彼女が微笑んだ。
「うんっ」
「じゃあさ、僕のことも『藤木さん』はやめてくれない?」
言うと彼女は顔中を真っ赤にした。
「僕よりひどいじゃない、一応、その、僕は恋人のつもり、だし」
恥ずかしくて思わず頬をぽりぽり掻いた。
「なんかさ、本当にパトロンだよ、ご主人様、みたいな」
それはそれで興奮しなくもないけど。
「……ん……じゃあ……た、つ、や……さん?」
「嘘だよ」
あまりのたどたどしさに、僕は笑ってしまう。
「別にどんな呼び方でもいいよ、萌絵が呼びやすいようにしてくれたら」
僕が言うと、彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。
だって彼女は男が苦手なんだ、そんな子にあれこれ強制しても仕方ない。
現に、この『お願い』も彼女にはハードルが高いようだ。
彼女はまた顔を真っ赤に、耳まで赤くして頷く。
「ううん、頑張る……萌絵って呼んでくれて嬉しいから……た、たっちゃん、なら呼べるかも」
僕は微笑む、彼女の努力が可愛かった。
「ありがと。じゃあ行こうか、行くとこ決めてるんでしょ?」
そう言って歩き出すと、彼女は並んで歩き出す。
できれば肩を抱きたい、せめて手くらい繋ぎたいけど。肩を並べて歩けるようになっただけでも彼女には進歩だ、一番最初は一歩下がっていたのだから。
出合ってひと月あまり、少しずつ、距離を近付けようと思う。
出会いのきっかけは列席した結婚式だった。
僕は後輩の男子社員の、彼女は先輩の女性社員のものだった。
あの時、萌絵から声をかけてきて親しくなった。あれから毎週土日にはデートをしている。
でも恋人と呼ぶには、まだ早いような気がする。
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