君と恋をしよう
先に陸に着いた僕は、少し強めに彼女の手を引いた。

「あ……っ」

まだ、あと一歩と思っていたのだろう、萌絵はバランスを崩し、僕の胸に飛び込んできた。
僕はその小さな体を抱きしめた。
これくらいの役得はあっていいだろう?

「──いらっしゃい」

耳元で囁いた。

萌絵の体が熱を帯びたように感じた、僕の服を掴む手に力が入る。

──本当に可愛い人だ。

「よし、釣ろうか」

声を調子を上げて言うと、萌絵の手がするりと離れた。
頰が微かに赤く染まっていた。


***


三匹のマスは、塩焼き、みそ焼き、燻製にしてくれた。

どれも美味しくて、皆も同じ意見だったんだろう。幹事は「釣ってくれたら作りますよー」と張り切っていた。

あーあとこれでビールを飲めたらなぁ……残念、車だもんなあ。

「藤木さん」

田代の嫁、華さんが声を掛けてきた。

「萌絵ちゃんがお世話になってます」

保護者のようですね。

「こちらこそです」

いや、本当に……自分の本心は人には言えないな。

「藤木さんと会うようになって、萌絵ちゃん、本当に変わったなあと思います。会社の歓迎会だって断った子が、他社のイベントに来るなんて」

言われて萌絵は小さくなる。

「本当に。初めは部長に抗議したんですよ? なんであんな子を受付に立たせるのかって。それくらいオドオドしていて、教育なんかできないレベルで」

それを聞いて萌絵は真っ赤になって俯いた。

「部長はふざけて「伸び代がある」なんて言ってたけど。でも対人恐怖症なんて受付には不向きよね、でもね本人の希望通り事務職だったら、きっと萌絵ちゃん、変われなかったと思うの。だから部長はそんなとこも見越してたのかなあと思うと部長も萌絵ちゃんもすごいなあと思って。萌絵ちゃん、ちゃんと部長の期待に応えてるものね」
「そんな……」
「藤木さんにお持ち帰りされたおかげかな」

華さん、勘弁して下さい。そんな事、笑顔で……。

「いやあ、僕がお持ち帰りした訳では……」

萌絵が付いてきたんだよ!

「知ってます」

華さんは意地悪く笑った。

「本当にいい方で安心しました、萌絵ちゃんがこれだけ懐いているんだもの。きっといい方向に行くと思います、これからもよろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げられた、本当に保護者みたいだな。

いい方向、か。それは、僕はさらに一歩踏み込んでもいいと言うことですか?


***

太陽が地平線に近付き始めると、撤収が始まる。最後の最後は青年部はやるので、俺と萌絵は少し早めに帰らせてもらえた。

帰路に着くと間も無く、助手席の萌絵はこっくりと舟を漕ぎ始める。

僕は吹き出す、本当に小さな子供のようだ。

「萌絵、着いたら起こしてあげるよ、遠慮なく眠りな」
「ううん……たっちゃん運転、大変なのに……」

僕は腕を伸ばして、萌絵の髪を撫でた。
一瞬体が硬くなったのが判る、でもすぐに小さく息を吐いて体の力を抜いていた。大人しく撫でさせてくれる。

そうそう、その調子。

「僕は大丈夫だよ、萌絵は疲れたでしょ、知らない人ばっかで」
「ん……でも……大丈夫……」

欠伸を噛み殺して言ったのに、結局数分後には眠っていた。

僕は信号で止まる度に、可愛い寝顔に見入った。

横浜市内に入って間も無くの交差点は、周囲に車がなく、静かだった。

僕はハンドルから手を離していた、助手席のシートに手をかけ、体を近付ける。

彼女は起きない、手や頬にキスくらいしても起きないのでは……。

間近で彼女の寝顔を見つめた、規則正しい呼吸が心地いい。半開きの唇が艶やかだった。白いデコルテが街灯に照らされて、綺麗すぎる肌が無機質にも見えた。

這わせてみたいな……指や舌を……。

そんな欲望を封じ込めて。僕は君と会っている。

僕は君を手に入れたいと思ってるんだよ、なのに、そんな無防備な姿を見せないでよ──。
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