君と恋をしよう
「あなたと別れてね、私毎晩飲み歩いてたの。
会社の周りや自宅周辺の飲み屋は制覇したんじゃないかしら。無茶な飲み方をする私をお持ち帰りしようとする人が多くてね。ふふ、大丈夫よ、八割は断ったわ、二割は、て、聞かないでね。
でもそんな様子を彼はよく見ていたみたいでね、彼はバーテンダーなの。心配してくれた、どうしたの?って。
彼は何日も私の愚痴を聞いてくれた、聞くばっかでね、何もしないから「私にそんなに魅力がないのか」って怒鳴ったわよ。そしたら言ったわ、「君を愛する事はできるけど、種付けはできない、それでもよければ君を抱くけど」って──そんな言葉を聞いた時、私、やっと憑き物が落ちたようだった。不幸なのは私だけじゃない、あやふやな『勝ち組』って言葉ばかりに気を取られていた自分が恥ずかしいって」

そこまで、一気に言って、淳美は大きく深呼吸した。

「正直に言えば、今でもあなたが好き、あなたに愛されたい」

そんな言葉に僕の心臓は跳ね上がる。

「でも彼も彼なりに私を愛してくれてる、結婚とは考えてはいないようだけど──体が体だからね。でも一生を共にするパートナーにはいいかなと思えてるわ、なんだかお互い不完全でね、居心地がいいのよ……って、この間あなたを見た時、はっきり判ったわ」

山下公園で会った時、か。

「あなたはもう私には戻らないって。彼女に微笑みかけるあなたは、私が知ってるあなただった。私を愛してると言って、私のことばかり考えてくれていたあなただった。そのあなたがもう別の人のところに行ってしまったと、はっきり判ったの。私が取り返しのつかない過ちを犯したとも」

彼女は微笑んだ、意外なほど優しい笑みだった。

「だからむしろちゃんと謝りたかった、私が至らなかった事を告白したかった。本当にごめんなさい、私、あなたを傷付けたでしょう? 嫌な思いをいっぱいさせたでしょう? 本当にごめんなさい、そしてありがとう、私を愛してくれて、本当に、ありがとう。幸せだったわ」

そう言うと、ほんの少しの時間、彼女は俯いて、それから立ち上がった。その時の顔は、もうキャリアウーマンの顔だった。

「安心して。こんな個人的な用事ではもう来ないわ」
「え、ああ……」

妙にさばさばした口調に、僕はあっけにとられた。

「もしまた偶然ばったり会っても、その時は笑顔で『藤木さん』って言うわ。彼女とお幸せに……結婚は、するの?」
「どうかな、彼女もまだ若いし……」

正直な事を言えば、

「君との結婚は失敗したと思ってたから、もうこりごりと思ってたけど、君の謝罪を聞いて、またしてもいいなと思えて来た」

今度はもっとちゃんと心も触れ合えるようにしようと。

彼女はふっと微笑んだ。

「なら勇気を出してきてよかった。恥は掻き捨てね」

彼女がドアへ向かう、その颯爽とした背中は、僕が知る自信に満ちた彼女の姿だった。

「あら」

ドアを開けた淳美は呟いた。

僕はその背後から覗いた、数人の女子社員と新垣と田代の後ろ姿が見えた。
……聞こえてはいないだろうが、立ち聞き、か?


***


少しの残業をしてから家路に着いた。

マンションは高台にある、その坂道を少し清々しい気持ちで歩いていた。

淳美が全てを告白してくれ、僕の心のどこかにあったしこりのようなものが消えていた。
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