君と恋をしよう
「できないことをやってみるものいいものだよ、それをやりたい人がいると思えばちょっと優越感じゃない」
「藤木さん、は、嫌なお仕事をしたこと、あるんですか?」
「ないな、どんな仕事も楽しい」

言うと、彼女の尊敬したような視線を感じた、いや、そんな偉そうなことではないんだが。
単にすごくやりたいことも無かったから、どんな仕事も喜んでやっただけで。

「あの……指輪……されてますよね」

彼女は遠慮がちに聞いた。

「ああ」

僕は左手を上げて答える。

「別に未練とかじゃなくてさ。単に汗で取れないだけ。涼しくなったら外れるよ」

僕が笑顔で言うと、彼女は微笑んだ。

「あの」

彼女はまた遠慮なくがちに言う。

「離婚理由なんて、聞いたら失礼ですか?」
「んー? 別にいいよ」

僕は酔っていたんだろう、そして僕は悪くないと言う主張もしたかったんだろう。かなり饒舌に喋っていた。それはホームに着いても続いていた。

「ったくねえ、僕は種付け馬じゃないんだよねえ。しようしよう言われてできるほど図太くもないし」

はたと気づいた、彼女の相槌が聞こえなくなっている。

「あ、ごめんね、これから結婚する人に、少しエグい話だったね?」

彼女は微笑んだ。

「いいえ、藤木さんも悩まれたんだなって判って嬉しいです」

え? そんな風に思ってもらえるとこ、あった? でも味方になってもらえるのは、やっぱり嬉しい。

「あの」

彼女はまた遠慮がちに言った。

「フリーになられたんなら、今度、二人きりで会ってもらえませんか?」
「──えっ!?」
「……嫌、ですか?」
「えっ、嫌じゃない、けど……っ! 言ったでしょ、僕は先月離婚ばっかで、嫁に用無し扱いされた様な男で、君より随分年上で……! なんで僕なんかと……!?」

彼女は淋しげに微笑んだ。

「私、男性が怖いんです」

その時僕達が乗るべき電車が入線してきた。

「こ、怖い?」

彼女は頷く。

「会社も、普通に事務職のつもりで入ったのに、何故か受付嬢で……あまりたくさんの人に会うの、苦手です」
「そう、なんだ……」
「でも今日あなたを見た時、何故か初めて心が浮き立つのを感じました。でも指輪をされていたから、もう誰かのものなんだなと思って……でも私でも男性をそんな風に感じるんだって、それだけでも収穫だったななんて思っていたんですけど」

それって、既に萎えた僕にオトコを感じなかったんですかねぇ?と思ったが聞けなかった。

僕達が乗るはずだった電車は走り出す。

「藤木さんの隣は安心します、もう少し、お話ししてみたいです」
「え、あの、いや、その……」
< 8 / 54 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop