THE FOOL
「・・・っ・・・」
声を失う。
自分の頬に触れる服の感触や、鼻を掠めるどこか甘い匂いも。
全て新しい感覚で、懐かしい空間で新たな刺激を体に刻み込まれている。
ここに来て得るのはただの懐かしい記憶の回想だけだとばかり思っていたのに。
近づいて、その縮まる距離に驚いた時にはもう背中に手が回り。
驚きの声を発しそうな瞬間には柔らかく抱きしめられた。
そうして今はゆっくりその胸に閉じ込められて、徐々に力の入る腕と密着する体に心臓がフル可動だ。
な、何で?
えっ?何で抱きしめられたの?
そんな疑問が浮かぶばかりで「失礼だ」と怒る事も出来ずにただ硬直したままその態勢で保つ。
自分の心臓ばかりが煩くて、いっそ止まらないかと思った瞬間に耳に優しく入りこむ声。
「・・・泣かないで」
「・・・な、泣いてないです・・けど?」
それは本当。
私は今一滴たりともその涙を流してはいないのだ。
だから何ともその場にそぐわない言葉を向けられ抱きしめられている現状に困惑する。
確かに今ちょっと落ち込んではいたけれど泣くまでは・・・。
だけどもその言葉を理解していないのか、一向に解放されない体に少し焦って胸を押し返すと雛華さんの顔を覗き込む。
あ・・れ?
デジャブ?
そんな感想が速攻で浮かぶ。
疑問を携え僅かに距離をあけた体の位置でその表情を覗きこめば再びさっきの様な不満顔で私を見つめ、そしてすぐに絡んでいた熱を解くと庭に繋がる窓に近づき背中を向けた。
な、何なんでしょうか?
どうもさっきから怒りのポイントが掴めずに困惑して雛華さんのペースにただ萎縮する自分がいる。
一体何が気に食わないのだろうとビクビクしながらその後ろ姿を見つめて無駄に時間を過ごせば、無言で庭を見ていた彼の「あっ、」という声でビクリと反応する。
「な、どうしました?」
そう言ってそろそろと近づき同じように庭を見れば雛華さんの視線の先を理解して小さく笑うと彼を見上げた。