青い僕らは奇跡を抱きしめる


 傷つきやすく、すぐ卑屈になって、不機嫌さを露骨に表す最低な俺。

 被害者面して、周りが悪いと決めつけ、全部人のせいにしてしまう。


 上手く行かないと、どうしても八つ当たりして、文句ばかり垂れる。

 いくら多感で思春期だったとはいえ、そんな甘えが許されないくらい、俺は最低だったと思う。


 確かに運は悪かったかもしれない。

 でも、考えようによっては明るくポジティブに捉えるべきだった。


 なぜ、そんな大切な事に気が付かなかったのだろう。

 何かが起こってからでは遅いのに、つい甘えて、我がままに意固地になっていた。


 結局は、自分の不遜な態度が悪い方向へ向けていたのかもしれない。


 自業自得。


 自分の悪い癖の積み重ねがそれを招く。

 今だから、そう思えてならない。


 あの中学生だった時の自分を振り返れば、決して悪い事ばかりではなかった。

 むしろ、俺を助けてくれる人に恵まれて、俺は幸せの中にいた。

 伯父や伯母、葉羽やその家族、一度しか会ってないけど、もてなしてくれたサボテン爺さんもそうだ。


 もっと早くに気が付いていたら、表情も優しく、誤解を招かずに虐めに会う事もなかったのかもしれない。

 今更いったところで、遅いのだが、俺は教訓のようにそれを肝に命じておきたい。

 挫折を味わう度に、違う角度から見て、考え方を改めたい。


 いつかの何かの役に立つように、小さなことから変えれば、後に大きなことが変わっていく。

 その一つ一つ変えようとする積み重ねが大事だと、俺は思う。


 あの突っ張っていた中学生から、何年もの年月が経ち、俺はもうすぐ30歳になろうとしている。

 葉羽が予言した通り、俺は教師になった。

 教師になってまだまだ数年の新米だが、俺はこの仕事が大好きだ。


 教師になる事を気づかせてくれた葉羽に、今は感謝の気持ちで一杯だ。

 俺は葉羽の言葉通りに、教師の道を一生懸命目指した。


 葉羽が言った以上、そうしなければならない使命と、絶対なるんだろうなという運命を感じていた。

 そう思うのも、あれは葉羽が起こした奇跡の一つだったからだ。

 そして、葉羽がなぜあの時『将来先生になるよ』と言って、俺に手品を教えたのか、それが教師になってからわかった。


 今では、あの時の葉羽の手品のレッスンがとても有難く思える。

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