Shine Episode Ⅰ
9. 朝と夜の風景
水穂の今朝の気分は最悪だった。
昨夜どれほど飲んだのか、何軒はしごしたのか、まったく記憶にない。
歩くのもおぼつかず、ジュンとユリに両脇を抱えられてタクシーに乗せられたところまでは覚えているが、どうやって部屋までたどり着いたのか、記憶は曖昧、思考は朦朧として思い出せなかった。
ノックの音に頭をもたげると、目の前の景色がグラリと揺れた。
「水穂ちゃん時間よ。いい加減に起きないと本当に遅刻するわよ」
「わかってる。うぅっ……あたま、痛い……」
典型的な二日酔い、ひどい頭痛が何よりの証拠だ。
これも神崎さんのせいだとボヤキながら、水穂は気だるい体をベッドから無理やり引きはがした。
「もぉ、この子ったら、お酒の飲みすぎよ。顔がむくんでるじゃないの。冷水で引き締めてらっしゃい!
ジュンちゃんとユリちゃんにお礼を言っておくのよ。
タクシーに乗せましたと、わざわざお電話くださったのよ。ねぇ、聞いてる?」
母親の声が耳に頭に響く。
はいはいと、とりあえず返事をして洗面をすませ、着替えるため水穂はまた部屋に戻った。
鏡の中の顔は、まぶたが腫れぼったく目は少し充血している。
頬の張りがイマイチで化粧のノリも悪い。
鏡に 「もっと綺麗に写しなさいよ!」 と八つ当たりな文句を言いながら、なんとか身支度をすませて階下のリビングに下りていくと、珍しく朝のテーブルに父と弟がそろっていた。
「姉さん、ICPOから来た捜査官、すごい美人らしいねね。神崎教官の元同僚だって?」
「そうよ、それが何だって言うのよ!!」
勘のいい弟は、今朝の姉貴は最悪モードだと察し、即座に口をつぐんだ。
娘の不機嫌をわかっているのか、そうでないのか、父親が更に質問を重ねる。
「べアール捜査官の持ってきた情報と、教団の事件は繋がりそうか?
押収した部品の輸出先が特定できそうだと東郷室長から聞いたが」
「今それも含めて捜査中なの。運び出した港が限定できれば、密輸先もわかると思うんだけど」
水穂も、さすがに父親にはぞんざいな言葉は返さない。
海外に密輸された部品は武器の製造に関わっており、教団を隠れ蓑に活動していたテロ組織の資金源になっているのは明白である。
作られた武器でテロの可能性もあり、ICPOに情報の協力を求めていたのだった。
事件は複雑な様相を見せ始め、海外の複数の事件と絡み合い、長期戦に入るだろうと言うのが昨日の会議でだされた結論だった。
それは、これから先もソニアとの連携が必要となってくるということを示している。
私情を挟んではいけないとわかってはいるが、ソニアと籐矢の親しげな様子を目にするたびに、水穂は自分だけのけ者にされた疎外感をぬぐえない。
「食事中に仕事のお話はやめましょう。今朝は早いお出かけでしたね、あなたもお急ぎにならないと……
水穂ちゃん、少しは食べていきなさい。いいわね」
立ち上がった父親のあとに続きながら水穂への言葉かけを怠らない母へ、「はーい」 と元気のない声で返事をしながら両親の背中を見送った。
香坂家には朝の儀式がある。
玄関で身支度の確認のあと、両親は互いを抱きしめるのだ。
水穂には小さい頃から見慣れた風景だが、これが普通ではないと知ったのはいつだったか。
父が出かける前に母を抱きしめると友達に言うと、みな一様にとんでもなく驚いたものだ。
母にそれを告げると……
「よそはよそ、うちはうち。お父さんは危険なお仕事をしているの。
いつ事件に巻き込まれるかわからない、死ぬ事だってあるかもしれない。
だから後悔しないために、それから、ちゃんと家族のもとに帰ってきてねという気持ちを込めて抱きしめるの」
小学生だった水穂に、母はこう言い切った。
母の願いと祈りが効いているのか、幸いにも父親が事件に巻き込まれ怪我をしたことはない。
それでは、同じ職に就いた子供達にも、父と同じようにしてくれるのかと言えばそうではない。
送り出す前に 「気をつけてね、待ってるわ。いってらっしゃい」 と、毎日必ず言葉をかけてくれるが抱擁はない。
あれは、両親の愛情表現なのだとわかったのは、つい最近のこと。
自分もいつか結婚して、夫が危険な仕事に就いていたら、母のように毎日抱きしめてから仕事へ送り出すのだろうか……
ふと思い描いたそのとき、水穂の頭に籐矢の顔がポンっと浮かんだ。
「ちょっとちょっと、なんで神崎さんが出てくるの!! 」
怒りながら独り言を放ち、頭をブンと振ってたった今見た幻想を追い出した。
二日酔いの頭を振ったせいで頭痛はなおひどくなり、首から上がくらくらする。
水穂は最悪の朝を迎えていた。