Shine Episode Ⅰ
犯人グループの手がかりになるのではと見られる場所へ、籐矢と水穂が出向いたのは、空が今にも泣き出しそうな雲行きの午後だった。
取り壊しが決まっている三棟のビルの一角との情報だったが、中には入ると通路は迷路のように入り組んでおり、さらにはビル同士が地下で繋がっていた。
情報を元に探り出す一室へなかなかたどり着けず、籐矢も水穂も苛立ちを見せ始めていた。
奥へ奥へと進む中、いくつ目かの部屋へ入ったとたんドアが閉まり、それまで冷静に動いていた籐矢の体が大きく反応した。
「しまった、トラップだ!」
「えっ? 閉じ込められたら大変です。すぐに引き返しましょう」
「動くな……動かないほうがいい、危険だ」
「でも、このままここに残ったら、もっと危険じゃないですか。
来た道順を元にたどれば出られるはずです。急いで外に出ないと」
「いや、おそらく元へは戻れない。ドアを押してみろ、開かないはずだ」
籐矢の声は恐ろしいくらいに落ち着いていた。
こんなことは今までになかった。
水穂が身の危険を感じても軽口をたたき、どんな状況に陥ってもどこか余裕があった。
籐矢と行動をともにして不安を感じたことなどなかった。
それが、今は籐矢自身に戸惑いがみえる。
抑えた声が緊迫した状況であると物語っていた。
閉じ込められた部屋に明かりはなく、日暮れとともに暗闇が迫ってきた。
携帯の明かりもまもなく消えて、高窓から差し込む新月の光は心もとなく、足元を照らすには暗すぎた。
下手に動くと危ないという籐矢の指示で、二人はその場にとどまった。
もっともドアは施錠され、重厚なドアを壊さない限り部屋から出ることは不可能である。
籐矢は夜明けまで待とうと言うが、闇がもたらす恐怖は予想以上で、水穂は不安で震えが止まらなくなっていた。
「水穂、怖いか」
「怖くありません……いえ、本当はすごく怖いです」
「それでいい自分の気持ちを誤魔化すな。もう少しこっちへこいよ」
「神崎さん、オオカミになるんですか」
「バカ、こんなときに笑えない冗談を言うな」
「こんなときだから冗談を言うんです」
暗闇に慣れた目が、半分泣き顔でひざを抱え込んで震えている水穂を見つめる。
片手で震えた体を引き寄せると、言葉とは裏腹に水穂は体を沿わせてきた。
「私たち助かるんでしょうか。このままここに取り残されて、そのままビルが壊されたら……」
「そんなことを考えるな。助かることだけを考えろ」
「無理です! どう考えても助かる見込みは薄いじゃないですか。ここにこのまま……
いやです……絶対に嫌!」
「落ち着け」
落ち着けという声を押しのけるように、水穂は怖さのあまり叫ぶ。
籐矢は恐怖に襲われた体を強く抱き込み、落ち着け、大丈夫だ……と、繰り返し水穂の耳元にささやいた。
我を忘れかけた水穂の心は、その声により次第に落ち着きを取り戻してきた。
だが、不安な思いはぬぐえない。
「まだやりたいことがたくさんあったのに……旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、友達と遊んだり、結婚だって……それも無理ですね」
「ほぉ、結婚するつもりだったのか。栗山なら即OKだろう、それとも他の男を見つけるか?」
「話をはぐらかさないでください。この状況でどうしてそんなこと……うっ、うぅっ……」
籐矢は強く抱きこんでいた手を緩め、泣き出した体を柔らかく抱きなおし、背中を優しく撫でた。
水穂は戸惑いながらも、優しい手に体のすべてを預けた。
「こんなとき、一人でひざを抱えても不安は増すばかりだ。誰かの存在を感じなければ恐怖に勝てない」
「神崎さんも不安なんですか?」
「あぁ不安だ。だからこうしてお前を抱きしめている」
籐矢の手が休むことなく水穂の背中をさする。
震えの後にやってきた涙もおさまり、感情が落ち着いてきた水穂は籐矢の腰に手を回して自ら寄り添った。
いつもの強気の水穂は影を潜め、見えない恐怖に耐える姿は頼りなげで、籐矢は抱きしめる手に力を込めた。
水穂の髪にそっと口を押し当てる。
頬に残った涙を指先でぬぐい、乱れた前髪をすくい上げた。
静かに額に触れた唇は、すっと鼻筋をなぞるように滑り落ち、水穂の唇と軽く触れ合うほど間近になった。
「俺だって怖いよ。今はおまえを頼りにしている」
「本当に? 神崎さんが私を頼りにしているんですか?」
「そうさ……だが信じろ。絶対助かる、俺が必ず助けてやる」
口が動く度に触れる唇に一瞬の戸惑いを感じて、籐矢は思わず顔をそむけた。