Shine Episode Ⅰ
2. 潜入捜査
「みずほ……みずほ……水穂」
香坂水穂は、低く響く声にビクンと身を震わせて目を覚ました。
「アンタなぁ、よくもそんなに安心した顔で寝ていられるな」
「すみません……」
連日の深夜帰宅で体が睡眠を欲していたとはいえ、上司である神崎の快適な運転に、ついウトウトしてしまった自分を恥じた。
「ここから運転を代われ」
「私の運転でいいんですか? 荒っぽいですよ」
「知ってるよ」
こんなところが憎たらしいと思いながら、水穂は言われるままに車の運転を代わった。
神崎に指示されたとおり、曲がりくねった公道をかなりのスピードで走り抜ける。
運転免許取得後、運転のスリルを味わいたくて毎日走り回っていた十代の終わりは、水穂にとって辛いときでもあった。
何もかもが嫌だった。
家の中では優秀な弟と比べられ、外では香坂家の娘として多大な評価を求められる。
大学進学を機に一人暮らしをはじめたのも、家のしがらみから抜け出すためだった。
自由を満喫するだけでは飽き足らず、真夜中のドライブに出かけては、カーブの多い峠の道を走りスリルを味わった。
車を運転しているときは何もかも忘れられた。
ときにはレースまがいの挑戦にも挑み、命の危険を感じたこともあったが、車好きな仲間にめぐり合えたのもこの頃だった。
法に触れるスレスレの運転行為を繰り返し、時には取り締まりの警官に遭遇したりもしたが、持ち前の度胸で堂々と免許を見せながら 「ご苦労様です」 と警官へにっこり笑ってやり過ごす荒業も身につけた。
そんな水穂を仲間は 「さすが、すごい」 と褒め、褒められるとまんざらでもなかった。
彼らへ警察官の娘であることは伏せていたため、賞賛の声は水穂個人へ向けられたものであり、認められたことで自信がついた。
それが勘違いの自信だったと気づくまで、水穂は自分を過大評価していた。
警察の上層部にいる父親が、娘のやりたい放題の素行を知らぬわけがない。
免許証を確認した警官が、父へ報告したかもしれないとなどとは思いもしなかったのだから、その頃の水穂は、まったくもって世間知らずの子どもだった。
そう考えるようになったのは、水穂自身が父と同じ職に就いてからだ。
だいたい、学生の身分で運転免許取得後すぐに車を買い与えられるなど、普通の家庭環境ではない。
それなのに 「水穂のおうちはお金持ちなのね」 と友人に言われて、「うちの親は弟ばっかり可愛がるから、車は私への罪滅ぼしなのよ」 とうそぶいていたのだから、どうしようもなく甘ったれた娘だった。
その甘さに気づかされたのは、母親の言葉だった。
「水穂ちゃん、あなたはわかっていると思うけど、運転に慣れは禁物よ。走っている限りドライバーには責任があるの。
自分だけの注意では事故は防げないのよ。安全運転を忘れないでね」
テクニックを見せ付けるように、家のガレージにスピードを緩めず車を入れた水穂へ、母は危ない行為を注意するでもなく、ドライバーの責任を説いた。
久しぶりに帰宅した水穂の肩を抱きながら、気の緩みが事故を引き起こすのだと、自分が交通課の警察官だった頃担当した事故のケースを話す様子に押し付けがましさはなく、水穂は母親の話に素直に耳を傾けた。
母親は実に合理的な考えの持ち主で、父親よりも決断力に優れているのではないかと水穂は思っていた。
そんな母が、娘の機嫌を取るために車を買い与えたとは思えず、なぜ車を買ってくれたのかと聞くと……
「車は電車より時間の無駄がないわ。時間は効率よく使わなくちゃ。
車の運転は危ない、心配だという人もいるけれど、水穂ちゃんなら大丈夫だって、私は信じているの」
そう言って微笑んだ母親の顔に、胸の奥が切なく締め付けられる思いがしたのは、親に信じられているのだと感じたからだった。
その日から、水穂の無茶な運転は影を潜めた。
「水穂、飛ばしすぎだ。俺を殺す気か」
神崎の声が静かに響く。
アクセルに置いた右足を少し浮かせた。
「神崎さんと天国へ道連れなんて、私も嫌です」
「俺だって嫌だね。もっとイイ女と一緒がいい。お互いまだ死ねないな」
神崎の水穂への言葉は乱暴だが、指図し過ぎず程よい頃合で声を掛けてくる。
「お嬢様育ちに似合わない運転をするな。アンタ、見かけによらす苦労したんだろうな」
「そう見えますか?」
クラッチとブレーキを巧みに操りながら、滑るように急カーブを曲がる。
「ほら、その足さばき。普通のお嬢さんには真似できないね。
ドリフトも出来るんだろう? ギアの入れ方を見てればわかるよ」
「それって褒めてるんですか、それとも呆れてるんですか?」
「両方だよ」
「褒め言葉だけいただいておきます」
神崎と一緒に行動するようになり2ヶ月が過ぎた。
出会った頃は、何を言われても素直に受け取れず、いちいち言い返していたが、最近は神崎の物言いにも慣れ、適当に受け流すことができるようになっていた。