君と一緒に恋をしよう
#11『明けた月曜日』
体育祭の明けた月曜日、駅から出た私を待っていたのは、市ノ瀬くんだった。
「おはよ」
彼は何にも気にすることなく、当然のように私の隣に並ぶ。
「今日は、あんま天気よくねーな」
もうすぐ6月、梅雨が始まる。
私は「そうだね」と返事をして、重く雲の垂れ込めた空を見上げた。それからの数十メートルを、無言で歩く。
「総務の仕事って、今日は何かあんの?」
体育祭も終わったばかりで、もうすぐテストも始まる。
用があるとすれば、当番になっている公園掃除くらいで、次回の定例会はテスト明けだ。
「予定表、見れば分かるでしょ、そんなのも見てないの?」
ちょっとイジワルな言い方過ぎたかな? 彼はムッとして押し黙った。
「雨が降ったら、部活は休み?」
「雨でも、試合のビデオみたりする、時もある」
ふてくされたままの彼が、ふてくされたままで答えた。
「じゃ、やっぱり一緒に委員会行けないじゃない」
「だから、それを俺は今から行くようにするっていう話しを、ここにしにきたんであって! それをなんか、変な方向にもっていこうとするのはさ、お前がなんだかんだと、おかしなことを言うからなんだって、俺だって別にお前と、なんていうのかその……」
彼は突然、べらべらと勢いよく話し始めた。
なんだかんだと、どうでもいい言い分けを必死で並べて、一生懸命になっている。
多分こういうところが、この人の可愛らしいところなんだろうな。
「分かったよ、もういいって、実はそんなに怒ってないから大丈夫だよ」
いつまでも話しの終わらない彼を、そう言って教室の前で黙らせた。
彼はまたムッとした顔をしたけど、私はにこっと笑っておく。
「じゃ、そういうことで」
私は教室の扉を開けて、先に中へ入った。彼は一呼吸間を置いて、後から入ってくる。
教室に入ってしまうと、市ノ瀬くんのさっきまでの勢いは、どこかにすっかりさっぱり消え去ってしまって、私たちはまた、単なる同じクラスの人、になる。
自分の席につくと、通路をはさんで隣の席の津田くんが声をかけてきた。
「おはよう」
彼はその大きな体をこちらに向けると、じっと私の顔を見上げる。
「あのさ、この間、体育祭が終わった後に俺が言ったこと、覚えてる?」
私は教科書を鞄にしまって、それから椅子に座った。
「どっかに、つき合ってほしいって言ってたこと?」
「そう、それ。今日でも、大丈夫かな」
彼は視線だけを、横に滑らせた。
「うん、いいけど、何?」
「それは、学校終わった後で教える」
彼はちょっとだけ笑って、すぐに前を向いた。
もうこれで、放課後まではしゃべらないんだろうな、奈月がやって来て、テレビドラマの話しを始めた。
「見た見た、バラエティーのゲストの時と、全然違って、かっこいいよね」なんて、そんな話しをしていたら、あっという間に時間が過ぎていく。
その日の5時間目の授業は、ゆるふわ体育のマット運動だった。
ずっと順番待ちで座っていて、それだけで済んじゃうスタイル。この時間内で5回もマットの上で転がったら、すごく頑張った方だと思う。
私の隣に千佳ちゃんがやってきた。
奈月は開脚前転のコツについて、マットの上で他の女の子にご高説を垂れて遊んでいて、ウケを独占している。
「津田くんの怪我、たいしたことなくてよかったねー」
私は奈月の話を聞きながら笑っていた。
「津田くんってさー、他の男子と比べると、結構話しやすい人だよねー」
千佳ちゃんも、奈月がふざけているのを見ながら笑っている。
「今度さー、一緒に、どっか遊びに行こうよ」
私はちょっとびっくりして、彼女を振り返った。
「みんなでさー、きっと楽しいと思うよ」
千佳ちゃんの横顔は、ごくごく普通に笑っていて、普通に前を向いている。
「いいけど」
「約束ね!」
この時は私は、それを社交辞令くらいに思っていた。
リレーで一緒になるまで、あんまり話す子ではなかったし、同じクラスにいるのはもちろん知ってたけど、特に何らかの接点もない。
帰りの話しが終わって、先生が教室を出たタイミングで、津田くんは私を振り返った。
チラリと目を合わせて、「待ってて」の合図。私は鞄を手に立ち上がろうとしたのを、そのまま座り直した。
彼は、教卓の上にノートを提出したり、とにかく色々な雑用を済まそうとしている。市ノ瀬くんが、友達と大騒ぎをしながら教室を出て行った。
彼はきっと部活だよね、そのままグラウンドへ行ってしまうのだろう。津田くんは今日は部活ないのかな、バスケ、行かなくていいのかな。
津田くんと、目があった。彼は、にこっと笑う。
成り行きは彼に任せよう。とにかく私は、ここで待っていればいいんだ、そう思って、一息いれたところだった。
「志保ちゃん、これからどっか行かない?」
声をかけてきたのは、千佳ちゃんだった。
「さっき、約束したよね」
彼女は誰もいなくなった私の前の席に、どかりと座った。
「ねぇ、どうする? どこ行く?」
えーっと、確かにそんな約束はしたけど、まさか今日の今日だとは思わなかったし、いきなりそんなことを言われても困る。彼女は私を見上げた。
「あ、なんか予定あった?」
ないと言えばないけど、あると言えばある。津田くんがやって来て、隣に座った。
「なに話してんの?」
彼女はうれしそうに彼を見上げた。
私と一緒にどこかに行こうかと思っていたけど、まだ決まってなかったみたいなことを、一生懸命に話している。
彼はにこにことしながら、静かにその話に耳を傾けていて、ときどき彼女の話に笑ったりする。
「じゃあ三人でさ、アイスでも食べにいかない?」
「え、それってもしかして、津田くんのおごり?」
「うん、それはない」
彼女はそんな会話だけでも、とてもうれしそうに大声で笑って、誰よりも一番に立ち上がった。
「志保ちゃん、行こ」
津田くんの用事って、なんだったんだろう。
そんなことを思いながらも、私は立ち上がる。
彼はそんなことは一切気にしてないみたいで、普通に普通で、先に教室を出ていってしまった。
「津田くん、今日はバスケ、なかったの?」
廊下で並んだ彼に聞いてみた。
「今日はバレー部の試合が近いから、体育館をバレー部が占領してる」
あぁ、なんか奈月がそんなこと、言ってたっけ。
千佳ちゃんはなぜか上機嫌で、先頭を切って歩く。
「じゃあさ、後で奈月ちゃん見に行こー」
私が彼を見上げると、津田くんも楽しそうに、にこっと笑った。
そっか、津田くんがこれでいいのなら、私もそれでいいや。
前を歩く千佳ちゃんの背中に飛びつくと、私は彼女の腕に腕を絡めた。
「どこにアイス食べに行くの?」
「正門前のコンビニ!」
そのなんのひねりも変哲もない、もっと言っちゃえば、つまんない答えだったけど、きっとこれはこれでいいんだと思う。
私たちはコンビニで適当なアイスをそれぞれ買うと、学校に戻ってサッカー部を見下ろすグラウンドの縁に並んで座った。
千佳ちゃんは楽しそうに、ずっと一人でしゃべり続けていて、私はそれを隣で聞いている。眼下にはサッカー部の練習風景が広がっていて、それをながめているだけでいい。
津田くんは、彼女の話に丁寧に相づちを入れていた。
遠くに見える、あの背中は上川先輩かな、市ノ瀬くんらしき人が、こっちを見上げて手を振った。
私たちは三人並んで、同時に手を振り返す。食べ終わったアイスのゴミは、ちゃんとゴミ箱へ。
「ねぇ、奈月ちゃん見に行こ」
千佳ちゃんに連れられてのぞき込んだ体育館では、奈月が練習をしていて、やっぱり私たちに気づいたら、手を振ってくれた。
終わりの時間が来たらしく、駅前について連絡先の交換をする。そう言えば、私たちはこんなにも、知り合ってから日が浅い。
「またね」
上機嫌の千佳ちゃんは、津田くんと並んで歩いていく。私はそんな二人の背中を見送った。
自分の携帯に入った、彼のアドレスをながめる。
ここに連絡すれば、いつでも津田くんと繋がれるようになったんだな。
どこでも行けるドアのようで、そこへ繋がるパスワードの入手がとても難しい、そんな魔法の道具。
私は携帯を鞄にしまった。
そういえば、市ノ瀬くんの番号は聞いてないな、今度聞いておこう。
一人で乗った電車の窓から外を眺め、そんなことを考えながら、私も帰った。