君と一緒に恋をしよう
#15『知っていること』
二人の声は小さすぎて、ここからは何を言い合っているのかがよく分からない。
淸水さんの声は泣いているようで、震えているようで、必死に何かを訴えているけど、上川先輩の方は凄く落ち着いていて、彼女の話を全部聞いてあげているようだ。
なにコレ、喧嘩? もめ事? 相談? それとも、全く違う話し?
二人が話してるのは分かるけど、その会話の内容までは聞き取れない微妙な距離で、もう少しここから身を乗り出せば、ちゃんと聞こえるかもしれない、
だけど、これ以上木の陰から出ると、向こうにもこっちがバレちゃうし……、私は可能な限り、体を伸ばした。
その時、じゃりっという土を踏む音が後ろから聞こえて、視界の端に黒い影が飛び込んできた。私がパッと顔を上げると、それは市ノ瀬くんだった。
彼はまっすぐに、私の視線の先にあるものを追っていた。
上川先輩と淸水さんが、とても親密で、だけど濃厚な、二人だけの秘めた会話を続けている、そう、これは、他の人間が立ち聞きしていい内容じゃない。
市ノ瀬くんと目があった。彼はすぐに、視線を下に落とす。
私は、もう一度あの二人を振り返った。
恥ずかしいこと、いけないことをしているのは、自分でも分かってる、だけど私はこのままじゃ、ここから動けない、あの二人の秘密を知ってしまった以上、その謎を解明しないことには、ここから動けない。
市ノ瀬くんの手が伸びて、私の制服の袖を引いた。どれだけ抵抗しても、振り払っても、彼はその袖を引くことをやめない。
ここで騒いだり、声を出すわけにはいかないのに、彼は私を、そこから引きずりだした。
市ノ瀬くんに引っ張られて、私は木の陰から連れ出される。
充分に離れたところで、私は彼の手を振り払おうと、もう一度強く腕を振った。それでも袖をつかむ彼の手は離れなくて、私はされるがままに引っ張られていく。
「放して!」
ようやく声を出せるようになった場所で、彼の手が離れた。
「来いよ」
どうして今ここで、この人に命令されないといけないのか、意味が分からない。
だけど、他にどうしようもなくて、私は彼の後についていく。
何やってんだろ、何してるんだろ、気がつけば自分で自分が情けなくて、勝手に涙がでてくる。
ごまかしたいけど、それは、ごまかせる範囲をすでに超えていて、私は鼻水をすすりながら歩いている。
彼は立ち止まって、ふり向いた。
「泣くなよ」
「泣いてない」
彼は校門のすぐ手前の、縁石の上に腰を下ろした。
「とりあえず座ろうぜ」
すっごくイライラして、腹が立って、ムカついてて、なんでこんなところにいなきゃいけないのかが分からないけど、ここで逃げたら何もかもから、全部逃げ出してしまうような気がして、私は彼の隣にしゃがみ込んだ。
そしたら、他に何にもすることがなくなって、生理現象で涙が出てくる。
彼はじっと前をむいたままで、そんな私に呆れたように、扱いにくそうに、だけど結局どうすることも出来ずに、もじもじとしている。
何もすることがないなら、できないのなら、あそこから連れ出さないでほしかった。
「なんで泣いてんの」
「知らない」
他の人に見られたくなくて、私は膝をかかえてうずくまる。その隣で、彼の深いため息が聞こえた。
恥ずかしい、あんなとこ、見られたくなかった。だけど、あのままあそこにいて、イヤな子になるより、連れ出してもらった方がよかった。
だから、ありがとう。恥ずかしさと、感謝と大嫌いが、ぐるぐると混ざり合う。
「なんかさ、聞きたいこと、ある?」
しばらく無言が続いた後で、彼の口から出てきた言葉がそれだった。
聞きたいこと? 市ノ瀬くんに? そんなこと、あるわけないじゃない、それとも、あの二人のことで、自分の知ってることがあったら、教えてやるってこと?
「……身長と体重」
「誰の?」
「誰でもいい」
「……、173㎝、58㎏」
「誕生日」
「11月10日」
「血液型」
「O型」
「……」
自分がなぜ今、ここでこうしているのかが分からない、だけど、彼には感謝もしているし、ムカついてもいる。
何かもっと、大事なことを話さないといけないような気もするけど、それは今じゃない、とも思う。
「落ち着いた?」
その言葉に、私は返事をしなかった。
落ち着いてなんていないけど、落ち着いている。
「余計な話し、聞く?」
「聞かない」
即答したら、彼は笑った。
「じゃあ、もういいや、お前、結構元気だな」
私は、膝の間に埋めていた顔をパッとあげた。彼と目が合う。
「ありがとう」
言っておかなければならない言葉だったので、今ここで言っておく、この機会を逃したら、もう二度と、きっと一生、このお礼は言えないから。
彼はそれに驚いたみたいで、ちょっと小さくなってから、ぼそりとつぶやいた。
「どういたしまして」
それで、終わりにしよう、余計な話しは、しなくていい。
「……、俺はさ……」
彼がそう言ったのと、私が立ち上がったのが、完璧に同じタイミングだった。
「なに?」
「いや、何でもない」
彼も立ち上がって、おしりの埃を払う。
「帰ろっか」
「うん」
立ち上がった私たちを、後ろから来た上川先輩が一人で追い越していった。
何も挨拶されなかったから、こっちには気づいていなかったのかもしれない、そのまま市ノ瀬くんと並んで歩き出す。
駅に着くまで、私と彼は一言も言葉を交わさず、なにも言わないまま、黙って別れた。