君と一緒に恋をしよう
#18『サッカー観戦』
夏休み最後の部活の日、市ノ瀬くんはどういった内容のメールを、奈月にも送っていたのかは分からない。
だけど、とにかく奈月にも、サッカー部の最後の部内対抗試合を見に来いと誘っていたらしい、奈月がすぐ翌朝にメッセージを送ってきて、私たち二人は、待ち合わせて一緒に行くことになった。
その日は公園掃除の当番になっていて、どうせ制服に着替えて学校まで行かなくてはならなかったので、特に問題はない。
これが、あの市ノ瀬くんの一文だけだったなら、行かなかっただろう。だけど、奈月にも誘われて、「行かない」なんて言う方が、不自然でおかしな気がした。
午前中は基礎トレをやって、それから紅白戦だっていうから、奈月と一緒にお昼を食べてから、見に行く約束をする。
学校近くのバーガーショップ、入り口の扉をくぐった時、奈月の髪から、爽やかなレモンの香りがした。
「奈月、なにか香水みたいなの、つけてきたの?」
テーブルに座ってから、聞いてみた。彼女から、こんないいにおいがするのは、初めてのような気がした。
「ううん、つけてないよ」
奈月は、カップにストローをさす。
「でも、さっきから何かいいにおいがする」
「あぁ、アレかな、デオドラントかな、ほら、私は部活でいっぱい汗かくから、何となく、家を出る前に吹きかけるクセがあるんだよね」
彼女はそう言って、短い肩までの髪を指の先に巻き付ける。
「つ、つけすぎたかな? くさい?」
私は全力で頭を横に振る。逆に今度は自分の臭いが気になって、制服の短い袖を嗅いでみる。
「あぁ、志保とかは大丈夫だと思うよ、運動部とかじゃないし、教室エアコン効いてるし」
奈月はなぜか、恥ずかしそうにして横を向いた。
彼女は別に、変なことは言ってない。「私も今度、買ってこようかなー」って言ったら、奈月も「そうだね」と言って、この話しは終わった。
夏休み最後の金曜日、外の日差しはまだ強い。
グラウンドにつくと、私たちは木陰になっている場所を見つけて、芝生の上に腰を下ろした。フェンスのすぐ間近ではないけれど、ここからでもよく見える。
奈月は立てた膝に肘をついて、指先を自分の口元に当てた。じっと前を向いたまま、視線だけが熱心に何かを追いかけている。
校内の紅白戦といっても、正式な試合形式で進行しているみたいだった。
サッカー、正直興味ないし、蹴ったボールがゴールに入ったら得点できるくらいしか、ルールが分からない。
とりあえずボールの動きを追いかけて試合の様子を見てるけど、フィールドの中央で、ぽーん、ぽーんとパスが回っているだけで、パスの回っていった先でこちょこちょっとボールの奪い合いして、
またぽーんぽーんのパス回しばかりで、こんなこと言ったら怒られるだろうけど、日本古来の優雅な蹴鞠広域版としか思えない。
バスケとかバレーに比べて、動きの少ないサッカーはあまり迫力がない、遠いし、見づらいし。
隣の奈月は運動部だから、サッカーの面白さも少しは分かるのかな? 黙ったまま、ずっと熱心に観戦を続けている。
誘われてOKしたものの、私は正直、退屈していた。
日陰でじっとしていれば、確かに涼しいけど、かといって暑くないわけではない、じっとりと体に汗をかく。
ふいに、ゆっくりとした風が吹いた。あぁ、こういう気持ちのいい風は助かる、暑い外に座っているだけの状況には、本当にありがたい存在だ。
試合をちゃんと見ていなかったから分からないけど、今は一時中断していて、選手の交代があるみたい、あぁ、あそこで審判っぽいことをしている、おっきな人が上川先輩かな、やっと見つけた。
ここについてから、奈月とは一言も話してない。私は会話の糸口をさがして、声をかけた。
「市ノ瀬くん、どこにいるか分かる?」
奈月はすぐに、ベンチの奥を指差した。私は呆れてため息をつく。
「なによあの人、見に来いとか言ってたわりには、自分で試合に出てないんじゃない」
「最初は、一年生とレギュラーじゃないメンバーだって言ってた」
彼女は、腕の時計をチラリと見る。
「多分、もうすぐこの試合が終わるから、そしたらレギュラーメンバーの試合が始まるんじゃない?」
私はフィールド上に設置された時計を見た。小さくて見づらいけど、確かに残り時間は少ないみたいだ。
ん? ちょっと待って、確かサッカーの試合って、45分で前半と後半があるんだよね、それまでここで座りっぱなし?
「あ、あのさぁ、奈月?」
「ん? なに?」
試合終了のホイッスルが鳴った。選手たちが脱いだベストタイプのゼッケンを交換している。本当にこれからまた試合が始まるんだ。私は時計を見る。2時前だ。
「これから、次の試合全部見るの?」
奈月は、「えっ?」っていう、不思議そうな顔を向けた。
そうだよね、サッカーの試合を見に来るって、そういうことだよね。
「ううん、何でもない」
仕方がない、これを見に来ることにOKしたのは自分だ。ちょっと覚悟が足りなかった、気合いを入れ直そう。
それでもせめて、奈月がなにかしゃべってくれてればいいんだけど、ずっとフィールドを見ているから、話しかけようがない。
選手たちが入れ替わって、次の試合が始まった。私もちゃんと観戦してみよう。
ゴールキーパーをのぞけば、ボールを追いかけているのは全部で20人、そう考えると、結構人数が多いな。ここからだと、全体がよく見渡せる。
奈月の言っていたように、メンバーが入れ替わってからは、確かにさっきよりかは、見がいがある。私でも、それくらいは分かった。
あの人たちが攻めていくグループで、こっちは守る系ね、で、ボールが外に出ちゃったら投げ入れて……やっぱり、上川先輩はおっきくて、目立つっていうか、すぐ分かるな……。
気がつけば、私は先輩の姿をずっと追いかけていて、試合とか、ボールとか点数とか、そんなことはどうでもよくなっていた。
前半終了のホイッスルが鳴る。私は息を吐き出した。
「こうして見てると、意外と45分って、あっという間だね」
「だよね、すぐだよね」
奈月がにこっと笑って、私はちょっと安心する。
よかった、奈月も退屈しているワケではなかった。
夏休み最終日の学校は、みんな何かしらの用事があるようで、まあ主に部活が原因なんだろうけど、結構な人の出入りがある。
グラウンドの周辺にも、試合をやっているせいか、ちらほらとギャラリーが現れ始めた。後半開始のホイッスルが鳴る。フェンスの端に、梨愛の姿を見つけた。
体の大きな上川先輩に、正面からぶつかっていく市ノ瀬くんは、言い方が悪いけど特攻隊員みたいだった。大きな敵に自分から絡んでいって、すぐに抜かれてる。
そういえば、2年になってすぐは、レギュラー争いしてるとか言ってたな、そのおかげで、生徒会総務の仕事をさぼりまくっていて、私は迷惑したんだっけ。
彼とは、朝に今でも時々一緒になる。毎日じゃないけど、駅を出て少し歩くと声をかけられて、その位置はだいたい決まっていて、そこを越えても話しかけられない時は、「あぁ、今日はいないんだな」って、ちょっと思う。
もちろん、他の子と歩いてるところを見かける時もある、女の子より、男の子の友達のことが多いかな、誰かと一緒じゃないと、一人じゃ登校できないタイプなのかもしれない。
そういえば、公園掃除の当番も一緒にしたいとか、どれだけ一人が嫌なんだろう、もう小さい子供じゃないのに、変なの。
急に笑いがこみ上げてきて、私はぷぷっと笑ってしまった。
市ノ瀬くんはボールの取り合いでもめた後で、相手に抜かれて態勢を崩した。そのまま転んでしまうかと思ったら、すぐに片手を地面について走り出す。
彼の目は、先を飛び交うボールだけを追いかけていて、今はきっと、他のことは何にも頭に浮かんでないんだろうな、今の頭の中、サッカーのことばっかりなんだと思うと、またおかしくなって、一人で笑ってしまった。
奈月が私をちらりと見る。
「どうしたの? 何か面白いことでもあった?」
「うん、ちょっとね、思い出し笑い」
奈月は呆れたような顔で「あっそ」と言って、また前を向いた。
そうだよね、サッカーの試合を見ている最中に、思い出し笑いって、変だよね。
市ノ瀬くんの打ったシュートが、ゴールキーパーに弾かれて、ボールの流れる向きが変わった。
結局、公園掃除も一緒にしようって言ってたけど、私が全部変更したせいで、一度も一緒にならなかったな、彼は、ずっと上川先輩と二人で、この夏掃除してたのかな、そんな光景を、見たかったような、見たくなかったような……。
自分がそんなところにいるなんて、あの二人に挟まれて立っている姿なんて、想像も出来ないし、今後も二度とそんな機会はないだろう。もしかしたら、私はもの凄くもったいないことをしたのかもしれない。
そんなことを考えて、今になって後悔しても、仕方のないことなんだけど。
市ノ瀬くんが、ボールを奪った。奈月が隣で「おっし!」と言った。
奈月はずっと、サッカーの試合を本気で楽しんでいるのかな、かわいい。
試合終了のホイッスルが鳴った。市ノ瀬くんたちのチームは負けて、上川先輩のチームが勝った。試合の後片付けが終わって解散になるまで、私たちはずっと同じ場所で座って待っていた。
「ね、行こっか」
サッカー部員たちが、バラバラとフェンスから出てくる。
奈月がタイミングを見計らってそう言って、私も立ち上がった。
私たちが市ノ瀬くんのところにたどり着いた頃には、すでに梨愛が来ていた。