君と一緒に恋をしよう
#24『すれ違い』
教室を出て、急いで帰ろうとしていた正門横のフェンスから、ちょうどサッカー部が出てきた。私は、何となく足を止める。
市ノ瀬くんが出てきて、目が合った。
そのまま無視して歩こうか、それとも待った方がいいのか、私がその判断に迷っている間に、彼はこっちへ向かって歩き出していた。
それは、待った方がいいって、ことだよね。
つい数時間前に重ねた手の甲が、じんわりと熱くなる。
その市ノ瀬くんの後ろから、上川先輩も出てきた。先輩とも目が合う。私がぺこりと頭を下げると、先輩は片手を上げて挨拶してくれた。
私が急に頭を下げたから、市ノ瀬くんはちょっと不思議そうな顔をして、でもすぐに、後ろを振り返った。
上川先輩がそのまま正門へと向かう横顔を、私と一緒に見ている。
彼は軽い息を吐き出した。
「ま、そうだよな」
「なにが?」
「別に」
彼は、私と接触しそうなくらい、近すぎるほどそばにやってきて、私を見下ろす。
「なぁ、一緒に駅まで帰ろうぜ」
腕というか胸というか肩というか膝というか、とにかく体全体でぐいぐい迫ってくる。
「う、うん」
機嫌が悪い? 怒ってる? どうして? 私、なんにも悪いことしてないよね、学祭の準備とかのことじゃないよね? 出て行った時は普通だったし、部活で何かあった?
突然歩き始めた彼の後ろを、慌てて追いかける。
ヤバイ、どうしたらいいんだろう、何を話していいのかが分からない。
「あー、市ノ瀬と志保みっけ!」
後ろから奈月の声がして、彼女は私の背中に飛びついた。
「三人で一緒に帰ろー!」
私はホッとして、彼女に真ん中の位置を譲る。
よかった、奈月が来てくれて。そうじゃなきゃ、何を話していいのか、本気で分からなかった。
奈月がそこに入ってくれると、私は笑っているだけでいいから助かる。彼女がしゃべり続けてくれるから、私はそれに賛同しているだけでいい。
どうして奈月は、こんなにも話しが上手いんだろう、ちゃんと市ノ瀬くんに合わせた会話を、次から次へと繰り出していく。
最初は機嫌の悪そうだった彼も、駅に着く頃には、ちゃんと笑うようになっていた。
最初は不機嫌そうにして、奈月に突っ込みばかり入れていたのに、10分もしないうちに、それが丸くなるなんて、凄いよね、どうしたらあんなに、楽しそうに自然に、普通に話せるようになるんだろう。
ホームに入ると、私は二人から離れた。一人線路の向こう側に立ち、並んで立つ二人の姿を見る。電車が入って来て、私はその車内の窓際に立った。
発車の直前に、彼らに手を振ったら振り返してくれる。消えていく二人の姿を見送って、私はなぜだか少し、さみしくなってしまった。
翌日の朝、市ノ瀬くんと一緒になるかと思ったら、ならなかった。
昨日は一晩中、何の話しをしようか、何となく考えて、思いついたいくつかの話題を用意しておいたのに、ちょっと残念に思う。
だけどまぁ、これは次の時か、教室の中での作業中にでも使えるから、いっか。
正門をくぐると、グラウンドでサッカー部が朝練をしていた。
そうか、今日は朝練の日だったのか。ふらふらと、足がグラウンドへ向かう。梨愛の姿を見つけて、なんとなく隣に立った。
「あ、志保ちゃん、おはよー」
彼女はいつでも誰にでも、にこにこと愛想がいい。私も「おはよう」と挨拶を返して、グラウンドに目を向けた。
市ノ瀬くんが、ボールを蹴っていた。彼の蹴ったボールは、空高く舞い上がって、味方へのパスに繋がる。
そのままゴール近くまで走っていって、またパスが回ってきた。彼はそれをまた別の人にパスをして、その彼がシュートを決めた。終了のホイッスルが鳴る。
部員たちが、慌ただしく片付けを始めた。
「しっほちゃーん」
梨愛は、その顔にイタズラな笑顔をいっぱいに浮かべて、私に額を寄せた。
「やっぱ上川先輩って、かっこいいよねー」
「そ、そうだね」
片付けを続ける部員たちの間に、先輩の姿を見つける。
「園芸部はどう? 立木先輩と公園掃除の日、代わってあげようか?」
「いいよ」
彼女はくすくすと笑った。なんだそれ、別に、なんだっていいんだけど。
私は梨愛に挨拶して、先にその場を離れた。靴を履き替え、階段を登る。
今日しないといけないことはなんだっけ、私には、考えないといけないことが、たくさんある。
頭のなかで、本日のスケジュールの再確認を始めた。
今日、しないといけないこと、生物のレポート提出、新作映画の話し、見に行くのなら要相談、古文の小テストの出題範囲、それから……。
教室の後ろに積まれた、学祭準備のため道具の山を見た。
作りかけのポスター、飾りを作るための資材、集めた段ボールと針金、そうだ、今日は生徒会総務の定例会だから、その相談もしないと。
私が席につくと、教室に市ノ瀬くんが入って来た。彼はそのまま、自分の席に向かう。そのすぐ後ろには奈月がいて、最近は奈月とよくしゃべってる。
いつ定例会の相談をしようか、昼休みにでも、話しかけてみようかな。
やってきたその昼休みには、いつもと同じように奈月とお昼を食べた。
市ノ瀬くんの方から気づいて、来てくれるかと思っていたら、彼はずっと他の男子とふざけていて、教室を出て行ったまま帰ってこなかった。
奈月はずっと携帯を触りながら、ネット記事の芸能の話しをしていて、ふいに一緒に始めていたゲームを手伝ってほしいとかいうから、期間限定のイベントをクリアしてる間に、昼休みが終わった。
何かもっと、他にしなくちゃいけないことがあるような気がするのに、それが何なのかがよく分からない。
分からないから、どうしようも出来なくて、授業中に気になっては、つい顔をあげてしまう。
白いブラウスの、半袖から伸びる日に焼けた腕が、机に肘をついていて、少し前屈みになったその背中が、今は絶対にふり向かないことを、私は知っている。
それが動かないことに、さみしいのか安心しているのか、それも分からなかった。
やっと放課後になって、私は彼に話しかけることが出来た。
「定例会、行くでしょ」
「あぁ、うん」
鞄は教室においていくらしい、そうだよね、この後部活にも行かなきゃいけないんだもん、部活用のバックを持っていったら、邪魔だよね。
私は生徒会終わりに直接帰れるよう、持ってきた鞄の取っ手を握りしめた。
「行こっか」
「うん」
教室を一緒に出る。生徒会室は、この校舎の上の階にある。
廊下に出て、階段を上がり始めたところで、上川先輩と鉢合わせた。
「よお!」
先輩とは、もう気さくに挨拶を交わせるような仲になった。顔も名前も、ちゃんと覚えてくれている。
先輩の肩には、普通の通学用バッグがかかっていた。
「あれ? 部活には行かないんですか?」
「3年はもう引退したから」
あぁ、そうか、もう、部活はないんだ。
「学祭が終わったら、ひたすら受験勉強だよ」
彼はワザと、悲しそうな顔をして嘆いてみせた。
「じゃあ最後に思いっきり、楽しまないといけませんね」
隣を歩いていた市ノ瀬くんの、階段を上がるスピードがあがった。彼は一段飛ばしに駆け上がっていく。
踊り場で曲がるときに、ちらりと見えた彼の横顔からは、特になんの表情も感じられなかった。
「まぁね、最後の思い出作りって言われると、ちょっと悲しくなっちまうけどな」
先輩を見上げた。彼はにっと笑った。
「でもまだもうちょっと、遊んでたいよね」
適当な雑談なら、私にも応じられる。生徒会という共通点が、最大の武器だ。
最近はサッカーの練習も時々見てるから、そんな話しもできる。
自然に会話が弾むって、こういうことなんだな、私は先輩と、普通に会話が出来ることが、うれしいような悲しいような、なぜか不思議な気持ちになった。