君と一緒に恋をしよう
#26『世界の中心』

 気がつけば、貼りだした当番表はいつの間にか埋まっていて、奈月は全部、市ノ瀬くんと同じ時間帯にクラスの当番に入っていた。

 まぁ、そうだろうな、席が近くなったせいか、あの二人は最近特に仲がいい。

 こないだも二人で何かをきゃあきゃあ言ってたから、もしかしたら、このことだったのかもな。

 ぼんやりと窓の外をながめる。

 プラネタリウムの準備はちゃくちゃくと進んでいて、進捗に全くの問題はない。後は本番前日に、教室を全部片付けて、飾り付ければいいだけぐらいに完成している。

 部活組が居残りで製作に関わることが減った。私たちは作れる人たちだけで集まって、イラストを描いたり、折り紙の飾りを作ったりしている。

「ちょっと、園芸部の様子を見に行ってくるね」

 園芸部自体は、ほぼ活動実績がない、というか、生徒会本部と一体化してしまっているので、準備に必要なことはほとんどない。

 ただ今年は、採取した朝顔の種を小分けにして本部テントに並べ、来た人に自由に持っていってもらおうということになっていた。

 その種の重さを量って袋詰めする作業が、今日は予定されている。

 私は教室を出て、園芸部の活動教室がある校舎へと向かった。

 学園祭前の、いつもとは違う雰囲気が校内に溢れている。

 廊下にそれぞれのクラスの準備品が出されていたり、早くも一部のパネルが展示されていたり、少し浮き足立ったようなこの空気が、私は好きだ。

 園芸部はその活動場所として、第一家庭科室を借りている。通常の教室からは少し離れたところにあって、私は廊下の角を曲がった。

 誰もいないはずの調理室、そこに人影が見えた。

 私はびっくりして、その手前で足を止める。

 中から声が聞こえた。何て言っているのかは分からない、だけど、何かもめている。

 のぞいてはいけないような気がした、だけど、私が行かなければならない家庭科室は、この先にある。

 どうしようか迷ったあげく、私は意を決して一歩前へ踏み出した。

 その時だった。調理室から出てきたのは、津田くんだった。

「志保ちゃん?」

「あぁ、津田くんだったのか、こんなところでどうしたの?」

 彼は、にっこりと笑った。

「いや別に、ちょっとね。だけど、もう終わったから、俺はバスケに行ってくる」

「そっか」

「志保ちゃんは?」

「園芸部で、ちょっと作業」

 私は、廊下の先の教室を指差した。彼は、その方向を振り返る。

「ん、そっか、頑張ってね」

 彼は手を振って、その場を去っていった。私も手を振り返して、その背中が見えなくなるまで見届ける。

 だけど、どうしてももう一度、調理室の中をのぞかずにはいられなかった。

 千佳ちゃんが、一人で立っていた。彼女は立ったまま両手に顔を埋めている。

 私には、その場を素通りすることが、出来なかった。

「千佳ちゃん」

 そう声をかけると、彼女は涙でぐちゃぐちゃになった顔を、誰に恥じることなく上げた。

「ふられちゃった」

 そう言って、彼女は笑う。

「頑張ったんだけどなー、何がダメだったんだろ、だけどさ、こういうのって、自分ではどうしようもないんだよね、多分言っても、絶対ふられるって分かってたけど、どうしても言わずにいられなかったんだよね、分かる? この気持ち」

 私は首を横に振った。

「止まらないの、自分が。これ以上やっても無駄だって、逆効果っていうか、もしかしたら嫌われてるかも、嫌がられてるかもって、それが分からないワケじゃないんだよね、でもね、自分がしたくてしたくて、何かをやりたくて、やりたくて、我慢できないの。だから、やっちゃダメって分かってても、やっちゃうの、それがね、とめられなかった、上手に出来なかった、私が悪いの」

 彼女は、制服のポケットからティッシュを取りだして、鼻をかむ。

 私には、そんな彼女を見ているしか出来なかった。

「だからね、別にいいんだ。津田くんは優しかったよ、だって、ずっと私につき合ってくれてたんだもん。そのまま、私が踏みとどまっていれば、よかったのにね、それが出来ずに、告白とかするからダメなんだよ、そうじゃなきゃ、ずっと友達でいられたし、これからも……」

 彼女はそこで言葉に詰まって、また大量の涙を目からあふれ出させている。

「津田くんは、友達でいてくれるよ」

「あはは、そうだろうね、でも私はさ、それじゃ嫌だったんだもん」

 丸めたティッシュを、ポケットに突っ込む。

「友達でもいいなんて、そんなのウソ、だって、好きだったら、本当に好きだったら、やっぱり一番でいたいもん、自分以外の他の人となんて、一緒にいるとこ見たくないし、独り占めしたいってのが、本当じゃない?」

「そうかも」

「それが出来ないのなら、もういい、いらない。ちゃんとあきらめて、やることやるだけやって、それで、終わりにしようと思ったから、これでいいの」

 彼女は大きく息を吸って、それを吐き出した。

「よかった、スッキリできて。志保ちゃんは、なんで今日ここに来たの? あぁ、園芸部か」

 私がうなずいたら、彼女はまた笑った。

「私もこれから茶道部で、クッキー大量に焼かないといけないんだよね、もう行かないと、今、生地をこねながら、私の結果をみんなが待ってるんだ」

 私と彼女は、一緒に調理室を出た。

「じゃあね、志保ちゃんも頑張ってね」

 彼女はすぐ向かいにある、茶道部の茶室に入っていった。とたんに閉じられた扉の奥からでも、廊下まで聞こえる、歓声と悲鳴の入り交じった叫びが聞こえてくる。

 彼女は、幸せものだな。こんな感想を持つのは、間違ってるかもしれないけど、少なくとも今の私には、彼女がとてもうらやましく感じた。

 にぎやかで、大騒ぎの部室、彼女は自分の世界の中心に、ちゃんといる。

 園芸部の部室に入ると、立木先輩と淸水さんがいた。

「なにあれ、廊下うるさくない?」

 淸水さんが、来たばかりの私に聞いた。

「ホントですよね、なんなんでしょうね」

 私は空いていた椅子に座る。

 小さな紙の上に小分けにされた、朝顔の種をさらさらと袋に流し込む。

 淸水さんは私から何かを聞き出すことをあきらめて、また種の重さを量り始めた。

 彼女にはいつだって、私の存在は視界に入っていないらしい、隣で手伝う立木先輩に向かって、誰かの酷い悪口を言い続けている。

 私はそれを、聞いていていいのかとも思ったけれども、私は彼女の目の前で作業をしていて、自分で勝手にしゃべっているのは彼女自身だ。

 「それはちょっと言いすぎじゃないんですか?」って、割って入った方がいいのか、でも誰のことだか分からないし、立木先輩も困ってはいるみたいだけど、黙ってうんうんと話しを聞いてあげているし、私は作業をしながら小さくなって、でも彼女の悪口を聞いていた。

「あ、慶から連絡きた」

 彼女の長く続いた悪口は、一旦終了となった。私はほっとして、こっそり息を吐き出す。

 淸水さんは取りだした携帯で、熱心に文字を打ち続けている。

 彼女のその指から紡ぎ出す言葉は、どんなメッセージになって、相手に届くのかな。

「ちょっと、行ってくるね」

 扉が閉まる。さっきの酷い悪口は全部、上川先輩のことだったんだろうな。

 それを彼女は平気で、こんなところで言えちゃうんだ。

 もしかしたら、そうなのかもしれないと思った、だけど、それをそうだと信じたくなかったのは、私自身の勝手な都合であって、彼女と上川先輩の事実には、一切なんの関係もない。

 私がどれだけここで、何を考えようとも、彼女の視界に私が入らないように、私にはなんの作用も、反作用も、そこに生み出すことはないんだ。

 自分の無力さを、初めて知った。私は何をしたのか、何にもしてない。だからそれは、当たり前の事実なんだけど、どうして涙が出るんだろう。

「志保ちゃんは、上川が好きだったの?」

「分かりません」

「そっか、俺はね、好きだったよ」

「淸水さんの、ことですか?」

「うん、そう」

 あぁ、そうか、この人も、私と同じだったんだ。流れて来た涙を、手の甲でぬぐう。

「ふふふ」

 なんだかおかしくなって、私が笑ったら、立木先輩も笑った。

 そこから笑いが止まらなくなって、私たちはお腹を抱えて笑った。

 しばらくそうしたあとで、どうでもいいくだらない話しで盛り上がって、その日の作業は終わった。

「さようなら」

「ありがとう」

 立木先輩とは、そんな挨拶をして終わった。

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