君と一緒に恋をしよう
#28『学祭前日』
学祭前日の朝がきた。この日の授業は午前中までで、午後からは本格的な準備が始まる。
プラネタリウムの設置を手伝う市ノ瀬くんを残して、私は生徒会室に向かった。
「先輩、いよいよですね!」
立木先輩と上川先輩がいて、私はクラスの最終計画表を提出した。
「おう、頑張れよ!」
上川先輩がそれを受け取って、笑って手を振ってくれた。私は元気よく手を振り返して、教室に戻る。
いつもの教室が、いつもじゃないように変わっていくその過程に、さっきからずっとわくわくしている。
不要な机や椅子を、違う教室に運び込んだ。広がった空間に、三つのドームが並べられる。
窓は黒い壁紙で塞がれ、外からの光で満天の星空が浮かび上がった。
天井には丸いプラスチックで作られた太陽系の惑星がぶら下がる。
これに関しては、北見くんと一部の男子が、再現性だとかいって、大きさとか、ぶら下げる位置をどうするかで、やたらもめてたけど、結局はドームの配置と教室のライトの位置、エアコン、広さの限界等々、議論や本人たちでは解決不能な問題によって、何となくうやむやになったまま和解した。
なんにもしない男子は本当に全くなんにもしないけど、アツすぎる男子は、それはそれで厄介すぎて、これだから男はメンドくさい。なるようになったから、別にいいんだけど。
今日からしばらく部活はないから、今は全員が教室にいる。
一部文化部の生徒は、この後自分たちの部活の方へ行っちゃうけど、運動部関係はほとんど残っていて、飾り付けを手伝っている。
しばらくして、千佳ちゃんが津田くんに手を振ってから教室を出て行った。彼も普通に笑顔で手を振り返す。
コトを知っている私は、実はちょっとドキドキしていた。
今朝、千佳ちゃんは明らかに教室で緊張していたけど、やって来た津田くんは全くの普通で、しかも自分の方から彼女に声をかけた。
千佳ちゃんと仲のいい、同じ茶道部の子は、そんな彼に怒ってたみたいだけど、千佳ちゃんは平気だったし、津田くんも平気だった。
二人は、その日のうちにはすっかり元通り以上になって、多分私以外の人には、何があったかなんて、知るよしもない。
どうしてあんな風に、平気でいられるんだろう。
二人の、教室の空気とか、回りに迷惑かけたくないって気持ちは、頭では分かってるけど、本人たちの、その内側の気持ちが私には分からない。
不思議だな、なんであぁでいられるんだろう。
奈月が市ノ瀬くんと一緒に、最後のドームを運んできた。この二人は、席が近くなってから本当に仲がいい。
「私も手伝うー」
二人で運んできたドームの端に、私も手をかけた。
教室の扉を外して、それでも縦にしないと、そこを通れないくらいのサイズだ。あらかじめ外してあった扉から、私は市ノ瀬くんと二人で協力して通した。
「ありがと」
奈月はそう言って、その先は二人でドームを運んで行く。
「志保はさ、生徒会本部の仕事は大丈夫なの?」
「うん、学祭は、基本的に3年生が全部中心になってやってるから、本当にお手伝いっていうか、明日からの本番の方が、忙しいかな」
「そっか、じゃあ志保とは、一緒に学祭回れないね」
私は顔を上げた。あぁ、そうか、そういうことか。
私は係りの仕事で忙しい、確かに、今年の学祭は、誰かと一緒にのんびり回っている余裕なんて、ない。
「そうだね、そういうことだね」
「じゃあ、どうする?」
「うん、ゴメンね奈月、誰か他の人と回ってくれる?」
私が彼女に手を合わせると、彼女は優しくほほえんでくれた。
「分かった、じゃあ、そうするね」
「うん」
よかった、奈月のこと、忘れてた。これでちゃんと、今年の学祭に専念できる。
飾り付けの終わった教室で、部屋の灯りが消された。窓から差し込むわずかな光と、三つのプラネタリウムから放たれる灯りが、幻想的な風景を作り出す。
そこにいたクラス全員の拍手喝采でしめて、今日は解散、明日の本番を待つだけになった。
「じゃあ、お疲れさま!」
最終下校時刻がやってきて、慌ただしく片付けを済ませる。
「小山、教室のカギ、どうする?」
「後で私が持っていっとくよ」
「あぁ、じゃあ頼む」
学祭の準備が終わったら、総務が教室のカギをちゃんと閉めて、また職員室に戻す決まりになっていた。
慌ただしく教室を出て行くみんなから離れて、私は一人カギを取りに走った。
戻ってきた誰もいないはずの教室には、真っ暗な室内に一つだけ、ドームの灯りがついていた。
不思議に思った私は、中をのぞき込む。そこにいたのは、市ノ瀬くんだった。
「あれ、みんなは? 一緒に帰らなかったの?」
「まぁ、いちおう俺も総務だからね」
当日は、ドームの周縁に椅子を並べて、そこから黒い暗幕を垂らし、座って見られるように用意されている。
だけど今日は、他の準備のためにも椅子が必要だからと、ドーム底上げ用の椅子は、教室のあちこちに散らばったままになっていた。
床に直置きされたドームは、中に座ったまま少し手を伸ばせば、すぐに天井にまで手が届いてしまうくらいの、大きさだった。
私は、入り口からもぞもぞと中に入り込むと、彼の隣に座った。市ノ瀬くんは、少し腰を浮かせて、場所をあけてくれる。
「きれいだね」
白い紙で内張されたスクリーンに、無数の星が浮かびあがる。
「ホントだね」
彼は腕をまっすぐに伸ばして、その星に触れた。
「最初は、本当に出来んのかなって思ってたけど……」
「何とかなるもんだね」
私がそう言ったら、彼は笑った。
「小山はさ、星とか興味あった?」
「あんまり、そういう市ノ瀬くんは?」
「俺もねーよ」
彼が始めたくだらないおしゃべりに、私はずっと笑っていた。小さな宇宙の中で、私たちはこの世界に二人しか存在していなかった。
彼は色んな話しをした。今日あった出来事、教室での話し、友達の話し、妹とか、学校のこと、私はそれを、ずっと聞いてあげられる。
ここでこうやって、一緒に座っているだけでよかった。話しの内容だなんて、ここにどれだけ長く一緒にいられるかの、それだけのためにあるみたいだった。
私は彼のおしゃべりが、このままずっと続けばいいのにと、自分の手の先と、彼の指先を交互に見比べながら、ずっとそんなことばかりを考えていた。
「小山はさ、津田と一緒に、学祭回る約束したの?」
「いや、してないよ」
「ふーん」
ふいに彼のおしゃべりが止まって、私はその横顔を見上げる。
市ノ瀬くんは、大きな息を一つ吐いた。
彼の姿勢が、急にぐらりと傾いて、頭と頭がぶつかりそうになる。
私は少し背を後ろに傾けて、それがぶつからないように、ちゃんとよけた。
「もうそろそろ行かないと」
「うん、そうだね」
入り口に近い方に座っていた私は、もぞもぞと這ってドームの外に出る。
ちらりと腕時計をみると、カギを返さないといけない時間を、とっくに過ぎていた。
「わぁ! 大変! 早くプラネタリウムの電気消して!」
慌てて電気を消して、彼と教室の外に飛び出す。
「おい、走るぞ!」
「うん!」
カギは足の速いサッカー部の市ノ瀬くんに預けた。私はその後ろを、懸命に追いかける。
なんで私は今、彼とこうやって廊下を走ってるんだろう、もちろん時間に遅れたからだって、分かってるけど、だけど、そんな状況がおかしくて、走りながらつい笑っていたら、市ノ瀬くんに怒られた。
「お前、笑ってねーでマジメにちゃんと走れって!」
「あはは、だってなんか、面白いんだもん」
職員室の前で、私たちは先生にぺこぺこ頭を下げてから、また一緒に廊下に出た。
「お前のせいで遅くなっただろ」
「市ノ瀬くんが、ずっとしゃべってたからじゃない」
彼はぎゃあぎゃあとワケの分からないことをずっと言ってて、全部私のせいにしようとするから、私も負けずに言い返す。
大騒ぎしながら向かった真っ暗な靴箱には、誰も残っていなかった。
彼は、私が靴を履き替えるのを待ってくれていて、すでに他の扉にはカギがかかっていたから、出て行けるところは一カ所しか残っていなかった。
私たちは、その扉から外に出る。外灯の薄明かりの下に、奈月が待っていた。
「わぁ! 奈月! 待っててくれたの?」
私はうれしくなって、彼女に飛びついた。彼女は笑って、私を抱き留める。
「だって、一人じゃかわいそうかなって思って」
「ありがとー!」
真っ暗になった校庭を、三人できゃあきゃあ言いながら歩く。
あっという間に駅のホームにたどり着いて、私は二人と分かれた。
ホームの反対車線で、並んで立っている二人に手を振る。
今日は奈月たちの方に先に電車がやってきて、二人はそれに乗り込んだ。
私はもう一度手を振ってみたけど、車内の二人は何かを話していて、こっちには気づいてくれなかった。