君と一緒に恋をしよう
#29『約束の時間』
学園祭当日の朝になった。駅のホームから降りると、約束した早めの時間に、ちゃんと時間を合わせた市ノ瀬くんが来ていた。
「おや、さすがに今日はちゃんと来ましたね」
そう言って私がにやりと笑うと、彼は呆れたようにため息をついた。
「まあね、来ますよそりゃ今日は」
学校まで並んで歩く。私は今日のスケジュールを頭の中でくり返しながら、一緒に市ノ瀬くんと確認する。
彼は「あぁ」とか「うん」とか、そんな気のない返事しか返さない。
「ねぇ、ちゃんと分かってんの?」
「分かってるよ」
私が怒ったら、彼は私と同じくらい怒った返事をした。
なにそれ、私は心配して言ってあげてるのに、アレだってコレだって、市ノ瀬くんはいっつもよく忘れるじゃない、
結局「分かんないー」とか「忘れてたー」とか言って、全部私にやらせようとするんだもん、今度こそちゃんとやってもらう、ちゃんとした、ちゃんとする人になってもらう、
だって、あの上川先輩が誉めてたんだよ、あなたのことを!
「時計、ちゃんと持ってきたよね」
「うん」
彼は、自分の腕にまいた時計を見せた。
「よし、ローテーションは正確に、時間は守ってきっちりと、引き継ぎは必ずちゃんと立ち会って……」
「分かってるって!」
校門をくぐると、梨愛が待っていた。
「おっはよー隼人! 今日は一緒にがんばろうね」
彼の総務の仕事は、梨愛と全部ってワケじゃないけど、重なる部分が多い。
「鞄、教室においたら、すぐに戻ってくるから」
「はーい!」
彼女は、大きく手を振った。朝の本部受付テントの役割は、彼と梨愛が一緒に入っている。
私たちは校舎に入った。
「おまえさ、誰かと回る約束してんの?」
「それだよねー、今年は忙しすぎて、そんなことしてる暇がないかも」
「誰とも約束してないの?」
私は彼を見上げた。
「市ノ瀬くんは、誰かと約束してるわけ?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「今年はあきらめようよ、私も半分あきらめてるんだから、ちゃんとお互いに総務の仕事をがんばろう、ね?」
「はいはい」
その軽い返事の仕方が気に入らないけど、ここでまた喧嘩をしても仕方がないし、喧嘩したところで、本当にちゃんとやってくれる保証もない。
「じゃ」
私は早々に、彼を教室の外に追いだした。
教室の飾りつけは、北見くんたちが中心になって進めてくれているから、安心だ。
「私も行ってくるね」
腕に『生徒会総務』の腕章をつける。今日の私は、ほぼ一日生徒会総務さんだ。
最初の分担になっている体育館に向かう。
ここはもう、前日までに立木先輩が仕切ってくれてあるから、なんの問題もない、開会式の準備もバッチリだ。
私の仕事は、今日の午前中はずっと、体育館での出し物の入れかえがスムーズに行えるように、お手伝いすること。
開会式はもうすでに始まっていた。
オープニングは器楽部の演奏会、それが終わったら、演劇部の午前の部が始まる。
私は当番になっていた体育館横の準備室に入った。
タイムキーパーの淸水さんが、ストップウォッチをにらみつけている。秒を刻む時計が、ついに「0」を指した。器楽部の演奏が、その時間に終わる。指揮者が壇上で挨拶をして、やっと暗幕が引かれた。
「3分のロス、急いで!」
合図と共に、器楽部部員と壇上に飛び出す。
とにかく機材を運び出さなければ、次の舞台の準備が出来ない。
どの部活も、体育館の大きな会場での演技を一番の楽しみにしている。ぎちぎちに詰まったタイムスケジュールを、難なく進行させるのが本部の役目だ。
入れかえ時間15分に設定されていた時間の、残り7分で器楽部を退場させた。
次の演劇部は舞台の装置が多いうえに、本部役員では手伝いにも限界がある。
演劇部員の指示を受けながら、大道具運びを手伝った。
「そこ、ちょっとどけて!」
大きな背景を抱えた上川先輩たちが、舞台に入ってきた。劇の進行に合わせて、順番に背景を立てていく。
「残り1分!」
その合図で、本部役員は舞台から降りる。あとは出演部の最終確認と、開始OKの合図を待つ。
「OKです!」
淸水さんが、開演合図のブザーを押した。
暗幕が上がる、私が準備室でほっと一息つくと、隣には上川先輩が同じようにして座っていた。
「お疲れ」
「お疲れさまですね」
目を合わせて、なんとなくお互いに笑う。
「さて、これから30分は空き時間があるな」
彼は立ち上がった。
「え? 演劇部の舞台、見ないんですか?」
「なに? 志保ちゃんは、体育館の出し物が全部見たくて、この係りを選んだの?」
だって、こんな特等席で、ずっと舞台を見られる機会なんて、本当にないんだもん。
私が縮こまると、上川先輩は笑った。
「いいよ、俺も演劇部の係りに入ってるから、なんか買ってきてやるよ」
「いいです、私も行きます」
先輩に連れられて、体育館の通用口から外に出た。
「演劇部が一番大変だからなー、次は軽音か? あいつらは、こだわりが多いからな」
そんなことを言いながら、一緒に廊下を歩く。
「サッカー部がさ、焼きそばの屋台だしてるんだけど、そっちに行ってもいい?」
上川先輩と一緒に、グラウンド横の屋台へ向かう。
部長の登場に、部員たちは大騒ぎになった。彼はそこで5人分の焼きそばと、お茶を買う。
「悪いけど、こっち持ってくれる?」
2つに分けられた焼きそばの袋のうち、1つを受け取る。
彼はそのまま隣のバレー部の屋台でチョコバナナを2本買うと、その1本を私に渡した。
「はい、これはおまけ」
一緒に食べながら、再び体育館へと戻っていく。
「先輩は、チョコバナナ好きなんですか?」
「えぇ? 美味くない?」
「私も好きですよ」
そんな話しをしながら、上川先輩と二人で、しかも校内を並んで歩くなんて、ほんの半年前の自分には想像出来なかったな。
今年の学祭は、忙しいだけかと思ったら、全然そんなことはなかった。
先輩と二人でいられるのは、ちょっとうれしい。
体育館のすぐ外で、先輩と一緒に座って焼きそばを食べていると、本部役員だけじゃなくって、色んな出演部からの差し入れが入ってきた。
総務には特別チケットが配られていて、その費用は後で生徒会役員費用から、毎年同じ金額が落ちることになっているから、遠慮はいらない。それだけが唯一、生徒会総務の特権だ。
私たちの回りには、あっというまに食べきれないほどの差し入れが集まった。
たくさんの人達が、入れ替わり立ち替わりやってきては、先輩に挨拶をしていった。
私には知らない人たちばかりだったけど、上川先輩は、去年も生徒会総務をやっていて、しかもサッカー部の部長でもある。私は彼の隣で、にこにこしているだけでよかった。
話しかけられることもほとんどなかったけど、そんな上川先輩を見ているだけで楽しかった。
先輩は、やってきた人たちに、集まった差し入れや、多めに買って来た焼きそばを配ったりしていたけど、それでも差し入れは増えていく。
「どうする? これ」
人の出入りが途切れた時に、先輩が私に言った。
「大丈夫です、優秀な食品処理班がここにいますから」
自分で自分を指差すと、先輩は笑った。
「俺もかなり優秀だよ」
外に置きっ放しにしておくわけにはいかないから、もらい物を体育館本部のアナウンス室に運ぶ。そこにもたくさんの差し入れがきていた。
「わ、かき氷、溶けちゃいますよ!」
「志保ちゃん、いいから食べちゃって」
淸水さんに渡されて、真っ青なブルーハワイをほおばる。
「そんなの食ってたら、唇が青くなるぞ」
上川先輩は笑って、私の口の端についた氷の粒を指ですくってなめた。
「あ、ゴメン」
「ふぁいじょうふれす」
口にたくさん入れすぎて、うまくしゃべれない。私は冷たい塊を、ぐっと飲み込んだ。
「あ、なんか急いで食べたら、やっぱり頭痛くなるんですね」
そこにいたみんなに笑われたけど、そんなコトを気にしている場合じゃない。
「演劇部、終演まであと5分!」
私と上川先輩、他の総務と演劇部員が、舞台袖にスタンバった。
だけど、今の様子だと、絶対にあと5分なんかで終わりそうにない。次は、空手部の演舞が待っている。
空手部は舞台装置がいらないから、道具をはけさせるだけでいいんだけど、それが大変だ。
予定時間より、8分延長して終了した。淸水さんがイライラしている。
「もう、どうなってんのよ!」
とにかく、片っ端から全ての道具を外に放り出すしかない。演劇部の大道具さんも涙目だ。
「大丈夫、手伝いますから、急ぎましょう!」
全員が一致団結して、全てを外に運び出した。
体育館横の準備エリアには、そのまま放り出された様々な道具が山積みにされている。
舞台では、空手部の演技が始まった。私の緊張の糸が、一気にほぐれる。
「あれ? 上川先輩、こんなところで、何やってるんですか?」
ふらりとやってきた市ノ瀬くんが、ふと足を止めた。隣に梨愛を連れている。
「総務の仕事だよ!」
「あれ? こんな時間に、体育館入ってましたっけ?」
彼は私たちの近くまで来ると、そこにしゃがみ込んだ。
「お前、ろくに当番表見てねーだろ、ま、俺だって自分以外のは興味ねーけどな」
「で、なんっすか、このお供え物は」
彼は、私と上川先輩の回りにずらりと並んだ差し入れを見渡した。
「好きなの持ってっていいぞ」
「いりませんよ」
市ノ瀬くんは笑って、目の前のフライドポテトを一本手に取った。
それを私の口元に差し出す。口を開けたら、それが放り込まれた。
「お前はこれからどこ行くの?」
「え? 俺? 見回り当番っす」
つまんだポテトを、今度は自分の口に運んだ。
上川先輩と話しながら、彼のポテトを運ぶ手が止まらない。
梨愛は彼の隣にしゃがんで、自分で取った一本を口に入れた。
市ノ瀬くんはそれを見て、彼女にもポテトを差し出す。梨愛は一瞬ふっと笑って、それを口にした。
「あれ? 小山なんか体調悪い? 唇、青くない?」
市ノ瀬くんのそのセリフに、上川先輩は笑って、私は手で口元を覆った。
「え、そんなにひどい?」
「ウェットティッシュあげるから、拭けば」
上川先輩が、生徒会室においてあった備品を取り出す。手渡されたそれで口を拭くと、白かったそれが真っ青に染まった。
「こんなに凄いなら、もっと早く言ってくださーい!」
私が怒っても、上川先輩はずっと笑っている。
「だって、気づかねーから面白いんだもん」
彼はもう一枚を取り出すと、私に渡してくれた。市ノ瀬くんは立ち上がる。
「じゃ、俺らはそろそろ行きますね」
梨愛も一緒に立った。
「お前、そろそろ次のクラス当番の時間じゃない?」
彼の言葉に時計を見ると、まだ少し余裕はあったけど、確かにそろそろ移動を始めないといけない時間だ。
「本当だ、行ってくるね」
私も立ち上がる。上川先輩に挨拶をして、梨愛と一緒に巡回に行く市ノ瀬くんに手を振る。
梨愛の手が、彼の白いシャツの袖をつかんで、二人は私に背を向けた。
そっか、梨愛は市ノ瀬くんと、同じ巡回チームに入ってたんだ。私は、一緒になってるのは、何にもないけど。