奪い婚 ~キミの嘘に唇をよせて、絡まる赤い糸をほどきたい~
 戸惑う俺に、彼女はあの時と同じ優しい微笑みを向ける。

「すみません。てっきりヴィリディ家の専属運転手だと思っていました。君が……ピエールと……。まさか伯爵令嬢だったなんて、本当にすみません」

 彼女がクスクスと笑った。

「あの日、知人の手伝いで壁画を描いていたから、洋服もペンキで汚れていたし、勘違いされるのも無理はありません。でも、こんな偶然ってあるんですね」

 こんな偶然……。
 俺は望んでなかったよ。

 美術館の入口に設置された公衆電話。
 彼女は俺を見て微笑んだ。

「すみません。ピエールさんに電話してもいいですか?美術館から電話するように言われていたので……」

「はい。どうぞ」

 彼女の行動を監視しているのか?わざわざ訪問先に電話させるなんて、ピエールの独占欲がここまでとは。

 彼女は公衆電話の受話器を握り、声を弾ませた。

『はい。クルーズです』

「クルーズさんですか?そちらにピエール ロンサールさんはいらっしゃいますか?」

『俺だよ。そろそろ電話が掛かってくる時間かなって、君の声が早く聞きたくて、電話の前で待ってたんだ』

「やだ、ピエールなの?フローラです。今、美術館にいるの。誰と一緒にいるかわかる?」

『どうしたの?今日のフローラはやけにテンションが高いね。誰といるんだよ?まさか、男だなんて言わないよね?』

「素敵な男性よ。偶然あなたのお友達と美術館でお逢いしたのよ」

『俺の友達?もしかしてアダム?』

「あっ、まだお名前を聞いてなかったわ。あの……アダムさんですか?」

 彼女の問い掛けに俺は頷く。

「アダムさんと一緒にいるの」

『どうして?アダムが俺の友達だってわかったんだよ?まだ紹介してないのに』

「実はね、私達、《《知り合い》》なの」

 彼女は俺に視線を移し、茶目っ気たっぷりに笑った。

 そんな言い方をしたら、ピエールのことだ電話の向こうで、きっとヤキモチを妬くに違いない。

『知り合いって、なに?』

「あのね、ヒントは雨傘」

『雨傘?』

「六月にルービリアに戻った時に、車が故障したの。困っていたら彼が助けてくれたのよ。その時、雨が降っていたから、私の雨傘を差し上げたの」

『雨傘……?あの傘の女性が、フローラだったのか?』

「ピエール、あの日のことを知ってるの?」

『アダムから聞いていたから。そうか、あの女性がフローラだったんだ……』

「ピエール、どうかしたの?」

 俺が想いを寄せていた相手が、彼女だとわかり、ピエールもきっと動揺しているに違いない。
< 30 / 154 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop