奪い婚 ~キミの嘘に唇をよせて、絡まる赤い糸をほどきたい~
【フローラside】

 父がマジェンタ王国に帰国した翌日、私は記憶が戻らないまま退院する事になった。

 ピエールと一緒に、ピエールのアパートに戻る。私が一人で暮らししていたアパートは、父が滞在中に引っ越し手続きを済ませ、僅かな荷物はピエールのアパートに運び込まれ、住んでいたアパートはすでに解約されていた。

 自分のアパートに戻れば、何か思い出せるのかもしれないと思っていたが、それもできないまま、この日から新しい生活が始まった。

 ピエールは私を労り、家事も甲斐甲斐しく手伝ってくれた。

 ロンサール公爵や公爵夫人とは、電話でご挨拶をさせてもらった。『あなたのお腹に宿る小さな命は、ロンサール公爵家の初孫です。今は体をご自愛なさい』と、お義母様から労いの言葉をいただいた。

 ガーネット芸術大学に登校することなく休学したことは、記憶を取り戻すきっかけを失ったようで残念ではあったが、在学中の記憶も友人の記憶の欠片も残ってはいない。

 ゼロから始めた新しい生活。
 フローラ ヴィリディから、フローラ ロンサールに名前が変わったことに、不安はなかった。

 ◇

 退院から一ヶ月経過しても、私の記憶は戻ることはなかった。

 ただ……時折……
 綺麗な虹が、脳裏に浮かんでは消えた。

 安定期になり、少し膨らんだ腹部。

 ピエールはその膨らみに優しく触れ、嬉しそうに頬を緩めた。

 通院以外の外出はピエールに止められていたため、アパートで家事以外何もすることのない私は、暇な時間に自分の荷物の整理をする。

 クローゼットの中に放置されたままの段ボール箱を開けると、たくさんの画材が入っていた。ガーネット芸術大学で美術を専攻していただけあって、数十冊のスケッチブックも入っていた。
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