銀貨の代わりにあなたに愛を
第七章:和解
翌日の朝、グランは予定通りすぐに王都を出発し、夜遅くに港町に着いた。そのまま事務所に行こうか迷ったが、グランも相当疲れていたのでそのまま自宅へ直行した。
あくる朝、グランが事務所へ出勤すると、机の上に王都から届けられた封筒が置かれていた。昨日のうちに届いたらしい。すぐに今日一日のやる事を予定表に記入して自分の机に着くと、封を切った。
中を見ると、舞踏会の夜に顔を合わせた貴族6人の正式名と住んでいる屋敷の住所、また髪色など彼らの特徴がリストされた紙が入っており、さらにエリーゼからの小さな手紙が添えられていた。
『グラン
今夜は私とダンスをしてくれてありがとう。とっても素敵な夜だったわ。私もすぐ王都を発ちます。なにか力になれることがあったら協力するから、いつでも言ってちょうだいね。
あなたの味方エリーゼより』
グランの顔は瞬く間に赤くなり、思わず手紙を裏返して机の上に置くと、口に手を当て息を吐いた。一昨日から自分は変だ。こんな短い手紙に心拍数が上がるなんて、今までなかったのに。グランは自分の気持ちを持て余していたが、もう一度その手紙を手に取って目を通すと赤い顔のまま手紙を折って上着の内ポケットに丁寧にしまった。
その時、事務所のドアのベルが鳴った。
「あっ! ラグレーンさん帰ってる!」
「おはようございます、ラグレーンさん、お帰りなさい」
ジャスマンとエミールの出勤だ。
「おはよう。三日間事務所を空けてすまなかった」
グランは切り替えた声で返した。
そしてすぐに机の下に目を落とすと、エリーゼのくれた名簿リストと照らし合わせて、記憶していた注文内容を書き出し始めた。
「王都はどうでしたか……ん?」
ジャスマンはボードに書きとめていた今日の予定を確認して、戸惑った様子で言った。
「あれ、ラグレーンさん。僕、今日はシュトラール様のところへ行く予定があったはずなんですけど、なにか変更の連絡がありましたか?」
グランは顔を上げずにペンを走らせたまま答えた。
「ああすまん、あった。シュトラール様は用事のため今日まで王都にいることになったので、来週に変更したいそうだ。夜会で直接そうおっしゃっておられた」
「「夜会ですって!?」」
エミールとジャスマンは目を見開いて驚きの表情をグランに向けた。
「ラグレーンさん、王都でのお仕事ってまさか宮殿の舞踏会に行ったんですか!?」
「行ったが? なにをそんなに……」
グランが手を止めてきょとんとしたように答えると、彼らは感激したようなため息をもらした。
「うわあ!!」
「すごい、さすがラグレーンさんだ」
二人の言葉にグランは苦笑いすると、ペンを再び動かし始めた。
「なにがすごいものか。仕事で顧客に来いと言われたから行ったものの、居心地は最悪だぞ。俺など場違いでしかなかった」
「でもでもでも! 舞踏会と言えば、やっぱりダンスは踊ったんでしょう?」
エミールのきらきらした目できかれた問いに、グランの頭に、エリーゼと踊った感覚が蘇った。
「……まあ、一曲だけだが」
「「うわあ……!」」
グランの返答に、エミールもジャスマンもうっとりとした表情を浮かべた。一体なにを想像しているのかわからないが、この幻想を打ち砕くのは少々気が引けるとグランは内心思った。
「いずれはお前達にも行ってもらおうと思っている。仕事の場としては最適だからな」
「えっ!?」
「僕達が舞踏会に!?」
前のめりになった部下達にグランは少したじろいだ。
「ま、まあいずれはな。その調子だとずっと先になりそうだが」
グランは咳払いすると続けた。
「宮殿の舞踏会は恐ろしいところだぞ。貴族でなければ歓迎されない。俺は脚を引っ掛けられて転んだ」
「「ひっ」」
エミールとジャスマンは思わず小さな悲鳴を漏らした。ラグレーンさんを引っ掛けるなんて、王都にはなんと度胸のある人達がいるんだろう。二人ともそう考えていた。
ジャスマンは言った。
「でも……舞踏会は確かに策略とか陰謀が渦巻いているけど、きれいで優しい女性もいるんでしょう?」
グランはその幻想を胸に抱いた部下に、皮肉気な笑いを浮かべようとしたが、ふと思い当たって、表情が停止した。きれいで優しい女性。脳裏に蘇るのは、みじめな思いでいっぱいだったあの時、こちらに手を差し伸べてくれた彼女だった。
「まあ、いないこともないか」
そう呟いた上司に、部下二人は感嘆の声を上げるのだった。
ドルセット伯爵とアンドレは、北の領地へ視察に行っていたが、いつまでもエリーゼを一人にさせるわけにもいかないので、アンドレだけ先に帰ってきた。
エリーゼはすでに王都から1週間前に帰ってきており、アンドレが帰ってくる日はロビーの階段下まで降りてきて、満面の笑みで兄を出迎えた。
「お兄様、おかえりなさい!」
「ただいま、エリーゼ。何事もなかったかい?」
アンドレは妹に微笑みながら召使いに荷物を渡し、上着を脱いだ。その表情は長い滞在の割にあまり疲れていないようだった。前に父が視察から帰ってきた時はもっと疲労していた。
「ええ! お兄様、意外と元気そうね。視察は大変ではなかったの?」
アンドレは肩をすくめた。
「まあね……。私が動こうとすると、父上が睨んでくるものだから。向こうでもほとんど書類整理ばかりだった」
エリーゼはくすくす笑った。
「お父様ったら、子どもみたい。お兄様を信用していないのかしら」
「ときどき、私に爵位を継がせる気がないんじゃないかと、本気で疑うことがあるよ」
久しぶりの再会で兄妹が顔を見合わせて笑っていると、玄関のベルが鳴った。
「あら、誰かしら?」
召使いがドアを開けると、扉の向こうにはアンドレと同じか少し歳上と思われる男性と女性が立っていたきちんとした身なりだが、エリーゼには見たことのない顔だった。アンドレは思い当たる節があるのか、自然と眉を潜めていた。
「どなたでしょうか」
扉を開けた召使いの問いに、男性のいくらか高い声が聞こえた。
「エドゥアール・ベルトランと申します。こちらは妻です。その……ドルセット伯爵令嬢様は御在宅でしょうか」
エリーゼとアンドレは思わず顔を見合わせた。
あくる朝、グランが事務所へ出勤すると、机の上に王都から届けられた封筒が置かれていた。昨日のうちに届いたらしい。すぐに今日一日のやる事を予定表に記入して自分の机に着くと、封を切った。
中を見ると、舞踏会の夜に顔を合わせた貴族6人の正式名と住んでいる屋敷の住所、また髪色など彼らの特徴がリストされた紙が入っており、さらにエリーゼからの小さな手紙が添えられていた。
『グラン
今夜は私とダンスをしてくれてありがとう。とっても素敵な夜だったわ。私もすぐ王都を発ちます。なにか力になれることがあったら協力するから、いつでも言ってちょうだいね。
あなたの味方エリーゼより』
グランの顔は瞬く間に赤くなり、思わず手紙を裏返して机の上に置くと、口に手を当て息を吐いた。一昨日から自分は変だ。こんな短い手紙に心拍数が上がるなんて、今までなかったのに。グランは自分の気持ちを持て余していたが、もう一度その手紙を手に取って目を通すと赤い顔のまま手紙を折って上着の内ポケットに丁寧にしまった。
その時、事務所のドアのベルが鳴った。
「あっ! ラグレーンさん帰ってる!」
「おはようございます、ラグレーンさん、お帰りなさい」
ジャスマンとエミールの出勤だ。
「おはよう。三日間事務所を空けてすまなかった」
グランは切り替えた声で返した。
そしてすぐに机の下に目を落とすと、エリーゼのくれた名簿リストと照らし合わせて、記憶していた注文内容を書き出し始めた。
「王都はどうでしたか……ん?」
ジャスマンはボードに書きとめていた今日の予定を確認して、戸惑った様子で言った。
「あれ、ラグレーンさん。僕、今日はシュトラール様のところへ行く予定があったはずなんですけど、なにか変更の連絡がありましたか?」
グランは顔を上げずにペンを走らせたまま答えた。
「ああすまん、あった。シュトラール様は用事のため今日まで王都にいることになったので、来週に変更したいそうだ。夜会で直接そうおっしゃっておられた」
「「夜会ですって!?」」
エミールとジャスマンは目を見開いて驚きの表情をグランに向けた。
「ラグレーンさん、王都でのお仕事ってまさか宮殿の舞踏会に行ったんですか!?」
「行ったが? なにをそんなに……」
グランが手を止めてきょとんとしたように答えると、彼らは感激したようなため息をもらした。
「うわあ!!」
「すごい、さすがラグレーンさんだ」
二人の言葉にグランは苦笑いすると、ペンを再び動かし始めた。
「なにがすごいものか。仕事で顧客に来いと言われたから行ったものの、居心地は最悪だぞ。俺など場違いでしかなかった」
「でもでもでも! 舞踏会と言えば、やっぱりダンスは踊ったんでしょう?」
エミールのきらきらした目できかれた問いに、グランの頭に、エリーゼと踊った感覚が蘇った。
「……まあ、一曲だけだが」
「「うわあ……!」」
グランの返答に、エミールもジャスマンもうっとりとした表情を浮かべた。一体なにを想像しているのかわからないが、この幻想を打ち砕くのは少々気が引けるとグランは内心思った。
「いずれはお前達にも行ってもらおうと思っている。仕事の場としては最適だからな」
「えっ!?」
「僕達が舞踏会に!?」
前のめりになった部下達にグランは少したじろいだ。
「ま、まあいずれはな。その調子だとずっと先になりそうだが」
グランは咳払いすると続けた。
「宮殿の舞踏会は恐ろしいところだぞ。貴族でなければ歓迎されない。俺は脚を引っ掛けられて転んだ」
「「ひっ」」
エミールとジャスマンは思わず小さな悲鳴を漏らした。ラグレーンさんを引っ掛けるなんて、王都にはなんと度胸のある人達がいるんだろう。二人ともそう考えていた。
ジャスマンは言った。
「でも……舞踏会は確かに策略とか陰謀が渦巻いているけど、きれいで優しい女性もいるんでしょう?」
グランはその幻想を胸に抱いた部下に、皮肉気な笑いを浮かべようとしたが、ふと思い当たって、表情が停止した。きれいで優しい女性。脳裏に蘇るのは、みじめな思いでいっぱいだったあの時、こちらに手を差し伸べてくれた彼女だった。
「まあ、いないこともないか」
そう呟いた上司に、部下二人は感嘆の声を上げるのだった。
ドルセット伯爵とアンドレは、北の領地へ視察に行っていたが、いつまでもエリーゼを一人にさせるわけにもいかないので、アンドレだけ先に帰ってきた。
エリーゼはすでに王都から1週間前に帰ってきており、アンドレが帰ってくる日はロビーの階段下まで降りてきて、満面の笑みで兄を出迎えた。
「お兄様、おかえりなさい!」
「ただいま、エリーゼ。何事もなかったかい?」
アンドレは妹に微笑みながら召使いに荷物を渡し、上着を脱いだ。その表情は長い滞在の割にあまり疲れていないようだった。前に父が視察から帰ってきた時はもっと疲労していた。
「ええ! お兄様、意外と元気そうね。視察は大変ではなかったの?」
アンドレは肩をすくめた。
「まあね……。私が動こうとすると、父上が睨んでくるものだから。向こうでもほとんど書類整理ばかりだった」
エリーゼはくすくす笑った。
「お父様ったら、子どもみたい。お兄様を信用していないのかしら」
「ときどき、私に爵位を継がせる気がないんじゃないかと、本気で疑うことがあるよ」
久しぶりの再会で兄妹が顔を見合わせて笑っていると、玄関のベルが鳴った。
「あら、誰かしら?」
召使いがドアを開けると、扉の向こうにはアンドレと同じか少し歳上と思われる男性と女性が立っていたきちんとした身なりだが、エリーゼには見たことのない顔だった。アンドレは思い当たる節があるのか、自然と眉を潜めていた。
「どなたでしょうか」
扉を開けた召使いの問いに、男性のいくらか高い声が聞こえた。
「エドゥアール・ベルトランと申します。こちらは妻です。その……ドルセット伯爵令嬢様は御在宅でしょうか」
エリーゼとアンドレは思わず顔を見合わせた。