京都伏見・平安旅館 神様見習いのまかない飯

 ぐうううぅぅ~~~~。

 ずいぶんな音がした。

 私のお腹の音だ。

 顔がひどく熱くなる。

 ごまかすよりも身体が素直に反応してしまった。

 真人さんが驚いた顔をしたあと、吹き出す。

「おまえ、すごい腹の音だな。そんなに腹が減ってるのか」

「違うの! これは、その――空腹の所に少しだけ食べたから胃が激しく動いて」

 自分でも苦しい言い訳だと思う。はっきり言って私は空腹です。新幹線で食べた駅弁なんてとっくに消化されています。
 ほら、旅行となると何だかいつもよりお腹が空くというかよく食べられるじゃないですか。

 まだ何か言いたそうな真人さんを無視して、通りかかった女将さんに宿泊の希望を告げた。着物美人の女将さんが楚々とした笑顔でお礼を言う。

「天河様、ご宿泊をお決めいただき、まことにありがとうございます」

 女将さんが声をかけて、さっきの近森さんが宿泊手続きの記入用紙を持ってきてくれた。

 その間に、自称神様見習いがまたしてもデリカシーのないことを言う。

「舞子さん、こいつ、腹が減ってるみたいなんだ」

「なっ……!」

 私が抗議する前に、女将の舞子さんが上品に笑った。

「うふふ。先ほどかわいらしい音が聞こえました」

「あ、いえ、その……」

 恥ずかしくて消え入りたい。ごまかすために一生懸命、宿泊手続きを書き続ける。美人に笑われるのって、意外とつらい。
 よし、決めた。これから自称神様見習いのことは「真人」と呼びつけにしてやる。

 でも、舞子さんは優しかった。左手に内巻きにした腕時計を見て、こう言った。

「御夕飯までまだ時間がありますさかい、私が何かご用意しましょうか」

「え、それって……」

 うれしいと同時に、典雅な京言葉から発されたその申し出に、別のイメージがこみ上げ来る。

 京都で有名な「ぶぶ漬け」。京都の人に「ぶぶ漬け、食べます?」と聞かれたら、直訳では「お茶漬け食べますか?」だけど、本当は「さっさと帰れ」と同義だという京都人の怒りを表すというあの言葉。それを私は遠回しに投げかけられてしまったのだろうか。お夕飯まで待てない卑しい東京人は帰れと言われてしまうのかしら。

 まさか、私と同じような想像をしたのか、隣で真人も変な顔してる。そもそも、真人が変なことばかり言うせいじゃないか。

 舞子さんが着物の袖で口元を隠すようにして笑った。

「ふふふ。お客様に『ぶぶ漬け』なんて言いまへん。文字通りのまかないでよければ、私が見繕ってきますさかい、お荷物をお部屋に置いて小宴会室へお越しください。真人さん、ご案内して差し上げて」

 真人が嫌そうな顔をしている。

「何で俺が道案内なんだよ」

「真人さんの巫女見習いさんなんやから、当然でっしゃろ」

 やれやれといった感じで真人が私のキャリーバッグに手を伸ばそうとした。

「ちょっと待ってくださいっ」

 思わず大きな声になってしまった。ついでにキャリーバッグを取り返しておく。

「何だよ、舞子さんが言うからせっかく荷物を持ってやろうって言う俺の優しさを無碍にするつもりか」

「荷物は自分で持ちます。そんなことより、さっき、女将さん、『巫女見習い』って……どういうことなんですか」

 私の疑問に舞子さんが目を丸くした。

「真人さん、ちゃんと説明してはらへんのです?」

「したよ。俺が神様見習いだってことも、巫女見習いにしてやったってことも。こいつ、頭が悪いのか信仰心が欠け過ぎてるのか、たぶんその両方なんだよ」

「真人さんの説明が悪かったんとちゃいますの」

 舞子さんが真人を一言で黙らせた。ちょっと溜飲が下がる。

 けれど、問題は何も解決していないのでは……。

「神様見習いだとか巫女見習いだとか、結局どういうことなんですか」

 舞子さんが少し遠回しな答えをした。

「この『平安旅館』はインターネットとかには載せてまへん。それはさっきお話ししましたね」

「はい」

「それにはちゃんとした理由がありまして。このお宿、普通のお客様だけやなしに、いいろいろと訳ありの人ばっかりやってくる隠れ家なんです」

「訳ありの人、ですか……」

「このお宿にいる間に、ご自分で何か答えを見つけないといけないことをみなさん抱えてやってこられるんです。そして真人さんはそんな人たちの答え探しの手伝いをして、うまいことやれば八百万の神々の評価をいただいて神様になれるということで、ここに居候しています。口はあれですけど、須佐之男命のお孫さんに当たる血筋なので、一応まともな人やとは保証します」

 舞子さんの説明……大枠で真人の話と一緒だ。

 ということは、本当の話なの?

「最初っからそう説明しているじゃないか。まったく、八百万の神々に加えていただけるという利点がなければ、人間世界なんて下劣なところに高貴な魂の俺が出てくるわけがないだろう。不信心者め」

 真人だけでは半信半疑というより限りなく疑っていたのだけど、舞子さんにまでそう言われてしまうと、信じるしかない気がしてきた。

「あの、そうしたら『巫女見習い』というのは……」

 舞子さんがうっとりするような微笑みを浮かべた。

「文字通りです。神様には巫女、神様見習いには巫女見習い。真人さんはご覧の通り人間世界の常識に欠けています。それを補ってあげてください。悪い人じゃないので、よろしくお願いします」
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