京都伏見・平安旅館 神様見習いのまかない飯
「もしもし――?」

『彩夢? お母さんだけど』

 少し早口のお母さんと話をすると、いつも何か追いかけられているような気持ちになる。  

「お母さん、どうしたの――?」

 声が強張った。

 何でこのタイミングで電話がかかってくるだろう。

 リストラに遭ったら実家にまで連絡が行くのだろうか。

 いや、まだ公的には会社に籍がある。有休消化中だから大丈夫、はなず――。

『最近声聞いてなかったから』

 いわゆる大企業勤めのいい子――これが、お母さんが私に求めた理想像。

 ついこの前までは私はそのお母さんの理想通りだったのだけど、いまは……。

 バレていない。きっと大丈夫――。

「元気だよ」

『こんな時間に電話しちゃってごめんね。仕事の方はどう?』

 何気ない問いが胸を刺す。

 電話の声を聞かれたなくて、私は近森さんたちに背中を向けた。

「まあまあ?」

『あんたいつもそればっかりね。何だか大きな仕事があって大変だって言ってたじゃない。お母さんだって心配してるのよ? 最近は大企業でもリストラとかで身分は安定しないし、何かあるとすぐ不祥事でマスコミ沙汰になったりもするじゃない。ご近所からもときどきそんな話が出てね。彩夢は大丈夫だと思うけど――』

 結局、そうなんだ。お母さんは私を心配しているように見せているけど、目線はいつもご近所という世間様に向いている。

 ちょっと鼻がつんとした。

「うん、まあ、大丈夫」

 そう。私は大丈夫じゃないといけないんだ――。

 と、そこへ、今日知り合ったばかりなのにすでに聞き慣れた声がした。

「何が大丈夫なんだ」

 真人が眉を思い切りひそめて私の前にいた。どこから来たの、この人――?

『彩夢?』

「だ、大丈夫だよ?」

 慌ててごまかそうとするが、真人が私を逃がさない。

「大丈夫じゃないだろ。目も鼻も真っ赤だ。人間の肉体がそういう反応をしているときは泣いてるときの可能性が極めて高い。俺に事情を説明してみろ」

 うるさい。変なこと言ってお母さんに聞かれたらどうするの。

 私が手であっちへ行けと繰り返しているのに、真人には伝わらない。

『……彩夢、そこどこ?』

「え、どこって……」

『会社じゃないの?』

 言葉に詰まる。リストラに遭って有休消化で京都に来ています、なんて言えるわけがない。

 でも、お母さんをごまかせる自信がない。

 とにかく何か言わなければと慌てる私から、誰かがスマートフォンを取り上げた。

「もしもし、ただいまあんたの娘さんは京都にいますよ」

 いらぬ事を口走ったのは真人だ。

『京都!?』

 スマートフォンを耳に当てていなくても、お母さんの叫びが聞こえた。

 私が慌ててスピーカーをタップしてフォローしようとしたが、真人が先に話を勧めている。

「ええ、京都。娘さんは……仕事でがんばった分、ご褒美で京都旅行に来ています」

 ちょっと見直した。真人がうまいこと言ってる。嘘はひとつもついていなかった。驚きで目が丸くなる。絶対とんでもないこと言って揉めると思ったのに。

 スピーカーを通してお母さんのよそ行きの声が聞こえた。

『ああ、そうでしたか。ところで、お電話口様はどなた様でしょうか』

「俺? 俺は――まあ、この際どうでもいい」

『え?』

 真人のフォローは長続きしなかった。

「それよりあんたさ、こいつの母親なんだよな。母親っていうのは子供をかわいがるものじゃないのか。さっきから聞こえてるけど、仕事のこととか近所の評判とかそんなことしか聞いてないみたいじゃないか」

「ちょっと、ちょっと」何言い出すのよ、この人は。

 私がスマートフォンを奪い返そうとするのを避けて、真人が怒鳴った。

「そんなことより先に聞くことがあるだろっ」

『はい?』

「ちゃんとご飯食べてるかとか、身体大丈夫かとか。困ってることないかとか、つらいことないかとか。もっとちゃんと心配してやれよ」

 やっとのことでスマートフォンを取り返した。

「あ、お母さん。ごめんね。京都っていうのはホントなんだけど、いまの人、会社の人なんだけど、ちょっと酔っ払ってて。またかけるから」

 お母さんが何か言い返そうとするのを無視して、スマートフォンを切った。そのまま電源も切る。

「ちょっと、真人――」

 神様見習いに、人としてのマナーの何たるかを説教しようと振り返ったときだった。
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