京都伏見・平安旅館 神様見習いのまかない飯
「わっ」
背中の辺りに衝撃があった。さっきの家族連れの男の子が私の背中にぶつかっていた。
「あ、ごめんね。痛かった? 怪我とかしてない?」
しゃがみ込んで、私は慌ててぶつけた辺りのおでこをさすってあげた。
まだ小学校低学年くらいの男の子で、鼻は低いけど肌はすべすべでかわいらしい。さらさらの髪で、優しい顔をしていた。浴衣が似合っている。
「大丈夫」と男の子が言う。本当はまだ痛いのかも知れないのに、しっかりしていた。
「ごめんね。ママは?」
男の子がちょっと困ったような顔になった。その視線の泳ぎ方が、妙に心に引っかかった。
「聡一」と、男の子のお父さんの声がした。「ダメじゃないか。浴衣を着たからってはしゃいで。もうすぐ御夕飯だぞ。うちの子がご迷惑をおかけしました」
同じく浴衣姿のお父さんが聡一くんの手を握る。聡一くんはお父さんはよく似た顔をしていた。私の方に何度も頭を下げながら去って行く。聡一くんが手を振っていたので、私も手を振り返した。いい子だ。
「もう少し周りのことも見ないとな。ぶつかった子供がかわいそうだ」
「真人! 元を正せばあなたがうちのお母さんに変なこと言ったからでしょ」
私が真人に強く抗議をしたとき、今度は酔っ払いの女性の大きな声がした。
「あーん、歩くの疲れたぁ。美衣ちゃん、ここにお酒持ってきて」
「文恵さん、そんなところに座り込まないで。休憩処で休みますか」
「大丈夫。飲む」
タブレットを抱えてその場にしゃがみ込んだ文恵さんが、だだをこねている。大きな声だから目立った。面倒な酔っ払いのはずなのに、どこか愛嬌があって憎めない。
近森さんが困っていると、番頭の佐多さんが小走りでやってくる。
「ここは僕がやるから、近森さんは大宴会場の準備をして」
近森さんが文恵さんに会釈して大宴会場に向かおうとすると、文恵さんが早速絡んできた。
「えー、何で美衣ちゃんいなくなっちゃうのー? 佐多さんいじわるー」
文恵さんが佐多さんをぱしぱし叩いている。
「ああ、大沢様、やめてください」
「大沢様じゃなくて文恵さんだって言ってるでしょ」
近森さんと目が合う。どちらからともなく苦笑した。
「大変ですね」
「いろいろあるんですよ、みなさん。きっと」
相変わらず文恵さんが佐多さんをいじめている。
近森さんがやれやれとため息をついたとき、私は気づいたら声をかけていた。
「あの、近森さん」
「はい?」
「私も、天河様じゃなくて、彩夢って。下の名前で呼んでもらった方がうれしいかも」
言いながら頬が熱くなった。私も面倒くさいお客って見られたかな。
でも、やっぱり名字に様付けは落ち着かない。宿泊しているだけで、たぶん同世代の近森さんにそんなふうに言われるほど、私は偉い人間ではないし。
「はい。分かりました。それでは彩夢様で」
「様付けやめて」
「じゃあ、彩夢さん」
すごくうれしい。
「あー、そこの女子ふたりー。青春してるなあ。お姉さんも混ぜてよぉ」
文恵さんが私たちふたりの間に入ってきた。
「じゃあ、文恵さん、私と一緒に大宴会場に行きましょう。お酒が待ってます」
近森さんがそう言って肩を貸した。
「うん」と頷いた文恵さんが私を指さした。「彩夢ちゃんも一緒に行こう」
「私もですか」
「もちろん。みんなで行けば怖くない。ほら、彩夢ちゃんも近森さんなんて呼ばないで、美衣ちゃんでいいんだよ」
思わず近森さんと顔を見合わせた。酔っ払いのテンションに私もちょっとあてられていたのかも知れない。
「じゃあ、せっかくなので美衣さんで」
さすがにやり過ぎたかなと思ったけど、近森さん、もとい美衣さんは笑って頷いてくれた。
後ろでは真人が「全然分からねえ」と呆れた声を上げていた。
背中の辺りに衝撃があった。さっきの家族連れの男の子が私の背中にぶつかっていた。
「あ、ごめんね。痛かった? 怪我とかしてない?」
しゃがみ込んで、私は慌ててぶつけた辺りのおでこをさすってあげた。
まだ小学校低学年くらいの男の子で、鼻は低いけど肌はすべすべでかわいらしい。さらさらの髪で、優しい顔をしていた。浴衣が似合っている。
「大丈夫」と男の子が言う。本当はまだ痛いのかも知れないのに、しっかりしていた。
「ごめんね。ママは?」
男の子がちょっと困ったような顔になった。その視線の泳ぎ方が、妙に心に引っかかった。
「聡一」と、男の子のお父さんの声がした。「ダメじゃないか。浴衣を着たからってはしゃいで。もうすぐ御夕飯だぞ。うちの子がご迷惑をおかけしました」
同じく浴衣姿のお父さんが聡一くんの手を握る。聡一くんはお父さんはよく似た顔をしていた。私の方に何度も頭を下げながら去って行く。聡一くんが手を振っていたので、私も手を振り返した。いい子だ。
「もう少し周りのことも見ないとな。ぶつかった子供がかわいそうだ」
「真人! 元を正せばあなたがうちのお母さんに変なこと言ったからでしょ」
私が真人に強く抗議をしたとき、今度は酔っ払いの女性の大きな声がした。
「あーん、歩くの疲れたぁ。美衣ちゃん、ここにお酒持ってきて」
「文恵さん、そんなところに座り込まないで。休憩処で休みますか」
「大丈夫。飲む」
タブレットを抱えてその場にしゃがみ込んだ文恵さんが、だだをこねている。大きな声だから目立った。面倒な酔っ払いのはずなのに、どこか愛嬌があって憎めない。
近森さんが困っていると、番頭の佐多さんが小走りでやってくる。
「ここは僕がやるから、近森さんは大宴会場の準備をして」
近森さんが文恵さんに会釈して大宴会場に向かおうとすると、文恵さんが早速絡んできた。
「えー、何で美衣ちゃんいなくなっちゃうのー? 佐多さんいじわるー」
文恵さんが佐多さんをぱしぱし叩いている。
「ああ、大沢様、やめてください」
「大沢様じゃなくて文恵さんだって言ってるでしょ」
近森さんと目が合う。どちらからともなく苦笑した。
「大変ですね」
「いろいろあるんですよ、みなさん。きっと」
相変わらず文恵さんが佐多さんをいじめている。
近森さんがやれやれとため息をついたとき、私は気づいたら声をかけていた。
「あの、近森さん」
「はい?」
「私も、天河様じゃなくて、彩夢って。下の名前で呼んでもらった方がうれしいかも」
言いながら頬が熱くなった。私も面倒くさいお客って見られたかな。
でも、やっぱり名字に様付けは落ち着かない。宿泊しているだけで、たぶん同世代の近森さんにそんなふうに言われるほど、私は偉い人間ではないし。
「はい。分かりました。それでは彩夢様で」
「様付けやめて」
「じゃあ、彩夢さん」
すごくうれしい。
「あー、そこの女子ふたりー。青春してるなあ。お姉さんも混ぜてよぉ」
文恵さんが私たちふたりの間に入ってきた。
「じゃあ、文恵さん、私と一緒に大宴会場に行きましょう。お酒が待ってます」
近森さんがそう言って肩を貸した。
「うん」と頷いた文恵さんが私を指さした。「彩夢ちゃんも一緒に行こう」
「私もですか」
「もちろん。みんなで行けば怖くない。ほら、彩夢ちゃんも近森さんなんて呼ばないで、美衣ちゃんでいいんだよ」
思わず近森さんと顔を見合わせた。酔っ払いのテンションに私もちょっとあてられていたのかも知れない。
「じゃあ、せっかくなので美衣さんで」
さすがにやり過ぎたかなと思ったけど、近森さん、もとい美衣さんは笑って頷いてくれた。
後ろでは真人が「全然分からねえ」と呆れた声を上げていた。