きっと夢で終わらない
高校三年生のあの日。
周囲の話によると、愉快犯に背中を押された私は線路に落ちそうになったが、電車が入って来たと同時に突発的に吹いた強風に煽られ、一命をとりとめたのだという。
危うく私がその対象になりかけたけれど、あの時あの場所で人身事故は発生していなかった。


私が見た男の人は、存在しなかった。


そのあと愉快犯は現行犯逮捕されて、私は駅員室でお父さんが来るのを待っていた。
その時の私の心境といったらなかった。
だって結果として事件として扱われることになったが自殺未遂を起こした上に、「いらない」発言までされているのだ。

正直来ないと思っていた。
そのまま死んでくれればよかったのに、とでも言われるのではないかと怖くて、お父さんなんか迎えに来なければいいと、駅員さんがくれた紅茶のペットボトルを握りしめながら考えていた。
しかし私の予想は覆され、顔面蒼白のお父さんが「杏那!」と叫びながら駅員室に飛び込んで来た。
感動の再会も束の間、お父さんは私を圧迫死させる勢いで抱きしめた。
呼吸の苦しい中何度も「ごめん」を聞いて、頭を撫でてくれて、大きな手の温もりに我慢できず、広い胸の中で泣いた。


この事件は当然学校にも広まり、お父さんは数日休んでもいいと気を遣ってくれたが、これで休めば何かに負けたような気がして、月曜日はいつも通りに登校した。すると、どこから聞いたのか、いつもなら花壇で会うはずのきいちゃんが朝練をすっぽかして校門で待っていて、私を見つけるなり飛びついて来た。
「杏那先輩死んじゃわなくてよかった」と涙も鼻水も流しっぱなしだったものだから、私は笑ってハンカチを貸してあげた。

普段は机に向かって私などに見向きもしなかったクラスメイトも「生きててくれてよかった」と教室に入った私に言葉をかけてくれた。
受験前に無駄な心労をかけさせるなと言うことか? と一瞬卑屈になったがそうではなく、みんなの安堵とも恐怖ともつかないような表情から、心配してくれたのだと知った。

あれだけ冷めていたと思っていた私とクラスメイトの間には、私が思っているほど分厚い壁はなかったようだった。


その証拠に、私が理系クラスにいながら文系大学受験をすることに決めても、文句を言ってくることもなかったし、むしろ遅れを取っている私のサポートをしてくれるそぶりまで見せて来た。例えば早朝講座のプリントのコピーを貸してくれるとか。
もともと理数科目の方が得意で理系クラスに所属していたので、苦手科目の国語を克服するのに時間を要したが、一年の浪人を経て県外国立大学の文学部への進学を決めた。


理由はひとつ。
教員になれば、いつかもしかしたら、弘海先輩に会えるかもしれない。
そんな単純で不純な動機だった。
< 167 / 196 >

この作品をシェア

pagetop