とある小説家の恋愛奇譚
1,拾ったが最後
しとしととーーー
イギリスの気候らしい、どんよりとした空に雨が降っていた。
この地に足を運んだ当初は、慣れるまで時間がかかったが、センチメンタルになるには打ってつけだった。だからと言ってそんな気分になることはあまりないのだけど。
折りたたみ傘を差して煉瓦の塀に囲まれた道を家まで歩いていると、ふと遠くの塀に物体見えた。それはあまりにも無機質な、いかにも廃棄物といったような感じがしたが、よく見ると人間だった。とんがった靴を履いた長い足を投げ出して、こうべを垂れてうなだれている。男のようだ。もちろん、傘は指していない。
この界隈にホームレスの人は滅多に訪れない。古くから続く高級住宅街に囲まれているからだ。
私は足を止めざるにいられなかった。
普段はお金を入れて通り過ぎるだけだが、自分の住む家のレンガ塀(しかも入り口近く)で坐りこまれているのだ。通り過ぎることは家主としてできない。
その男の斜め前でとりあえず歩みを止めた。項垂れているため、もちろん顔はわからない。
コートを着て開いた前ボタンからはスーツを着ていることがわかる。靴を見ても仕立ての良さそうな代物だ。とてもホームレスには見えない。
もしかしたら、この人は私の家に訪問をしたが不在だったため、外で待っていると雨に降られて、塀に座り込んだのかもしれない。いわゆるセンチメンタルで。
しかし雨は朝から降っていたし、私とて長く家を空けていたわけではない。カレッジにいたが一度家に戻りそれからUターンしてまた二時間弱カレッジにいたのだ。それに大の大人がセンチメンタルなどといって…人は見かけによらず、ではあるのだが。
「…………あの」
声を出して見たが、ピクリとも動かない。
「………………どうしました?」
しとしと、しとしとと雨は降り続ける。
どれぐらい待ったのかはわからない。案外短かったのかもしれないし、長かったのかもしれない。
次の言葉を考えあぐねていると、男はポツリ、と声を漏らした。
「………………………さむい」
サムイ?
約四年ほどしかここに滞在していないが、勿論英語での会話だったため、頻繁に母国語を聞いて喋っていたわけではなかった。去年死でしまったアンナがいたときはよく使っていたのだけれど。ここ最近は全くである。
そのせいか、最初サムイという発音に首をかしげた。そして「ああ、寒いって言ったのか」と納得したと同時に男は再び言葉を発した。
「…………俺を拾ってくれ」
次は日本語だとすぐに理解した。
理解はした、が。
俺を拾ってくれ?
日本語の意味を疑いかけた。
俺を拾ってくれ…………て、はいそうですかと聞くとでも?拾ってくれってどういうことだよ。
しかも、なぜだ。よりによって何故うちの家なのだ。
私は傘を持ち直し、ふと、投げ出されている男の手に手紙らしきものが握られているのを視界に入れた。
手紙?
もしかしてうちの家に用があってはるばる日本からやって着たのかもしれない。なにか重大的なニュースがあって。
しかし思い当たる節では大体電話で来ることで解決するし、この男がやってこなくてもよろしい。また過去に出会った覚えはない。
とすると、アンナか?
アンナにならありそうだ。昔の知人とかで彼女の死を知って、いてもたってもいられなくなり日本から飛んできたとか。
いやいやまず日本から来たかどうかも怪しい。こんな身一つでいるにはあまりに無謀すぎないか?男の旅行は身軽というからこれでも生きて行けるのかも知らないけれど。
いや待て。それは必然的な考えであって、全くの偶然でここに座り込んで拾ってくれる人を待っているのかもしれない。 だからって何故私の家の前なのだ……
……………。
いろいろ考えた。
きっと男が私に話しかけてから言葉を発するまでにかけた時間よりも長いかもしれない。
あれこれ考えた。
そして出した結論は、
「…………それは、この家に住むわたしに拾ってほしいってこと?」
としか言いようがなかった。
その言葉に、男は初めてもぞりと体を動かした。項垂れていた首がゆらりとうごき…
こくり、と頷いた。
ーーこれが、私と彼の初めての出会いだった。