とある小説家の恋愛奇譚
「……」
不満だ。すこぶる機嫌の悪い。
なんなんだ。いったい彼はなんなのだ。
いきなり人の家に押しかけたと思えば押し倒して襲い(未遂で終わったが)、部屋を荒し、電子レンジを壊し、家主のような俺様態度でこき使い、挙句の果てに恋人だやらなんやら。
全くため息しか出てこない。
あー、本当に家にあげた私が馬鹿だった。
生きてるのか死んでるのかわからない顔が、いつかの自分のようだー、なーんて、情けをかけたが最後。
後ろでケリックさんとなか良さげに話をしている。
「そうか、君の本だったのか!あれはすごく面白くてね、僕気に入っているんだよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえて何よりです」
「いやー、そうとわかればサイン本を持ってくればよかった。ああ、でもそういうのは迷惑かな」
「いえ、大丈夫ですよ」
仙川薫の本と聞いて、ふと思い出す。
彼をネットで調べた時、デビュー作の本が、あろうことか自分のデスクの本棚にあるということを。
ーーーこの人だったんだ……。
そして地味に気に入ってよく読んでた本でもある。もちろん、仙川薫には死んでも言わないが。
たぶん、好奇心もあったのだと思う。
あの本を書く人はどんな奴なのだろうって。
だがしかし…何故こうなった…!?
こうなることを許した覚えは一切ない。
全力で茶っ葉を投げつけたい衝動を抑えて、私はお茶を入れたティーカップを二人の元へ持って言った。
「はいお茶です」
「ありがとう」
ケリックさんは一口飲んでうまい、と言う。
「ありがとう」
対する仙川薫は一口飲んで一瞬目をパチリとさせた。しかし、すぐににこりと微笑む。
「うん。君が入れる茶は美味しいよ」
「それはどうも」
砂糖じゃないくて塩を三杯入れた紅茶の味はどーだ仙川薫!!
そして自分も椅子に座り一口。
「っ!」
まずっ!ど、どうして?!
私は仙川薫を見ると、彼はふん、と鼻で笑う仕草をする。こんな仕掛けすぐに見破れるとでも言いたげな目だった。
恐らく私が砂糖と別に塩を入れていたところを見ていたのだろう。
おんのれぇ!
「仙川くん、すまないが少し席を外してもらっていいかな」
ふう、と一息置いてケリックさんはテーブルにカップを置く。
「ちょっとシュリと二人で話したい」
「ええ。どうぞ」
それは願ってもいないチャンスだった。
よし来たぞと意気込んでいると、立ち上がり様に仙川薫がにこりとこちらを見た。『絶対にバラすな』とでも言いたげに。
リビングから彼が消えて、二階へ上がる足音が聞こえると、ケリックさんは少し真面目な顔になった。
「全く、いつから付き合ってたんだい?びっくりしたよ」
「そ、それは…」
「ま、でもちゃんとした人じゃないか。安心したよ」
「は、はは…」
ケリックさん、だから違うんだって!
………しかし、彼を置いている私も私だ。
グッと言葉を飲み込んで、「どうしたの」と聞いた。
「あ、ああ。まず卒業、しかも首席で合格、おめでとう」
「ありがとうございます」
「さすがはアンナの子だ。彼女も喜んでいるだろうね」
「だと嬉しいです」
私はその言葉に少し嬉しくなる。そう、首席で合格できたことのなによりの嬉しさは、アンナの喜んだ顔を想像した時にある。
「君がここに来て、アンナのそばで勉強して、成長して、そしてこんなに立派になるなんてね…最初は思ってもなかったよ」
彼は目を細める。懐かしそうな表情だ。
「良かったよ、本当に」
「………はい」
私は、頭を下げた。
「おじさん、今までここに置いてくださって、本当にありがとうございます」
「いや、そんなそんな」
顔を上げ、彼を見据える。
「八月に、ここを出ようと思います」
「え…あ、ああ、そうか、そうだったね」
彼は少し身を乗り出した。
「あんなこと言ってしまった手前だが、本当にいいのかい?」
「はい。むしろ、アンナが死んでからもここにすませてもらって、本当に感謝しています」
「けど……」
そう言い淀む彼に、私は目を伏せ、静かな声音で告げた。
「……兄が、結婚することになりまして」
「え?それは本当かい?」
「はい。それを機に日本へ戻ろうと思います。もともと、留学という名のものだったので。やはりこれ以上は迷惑をかけられません」
「迷惑だなんて、そんな……」
「娘のようにして下さったこと、本当にありがとうございます」
もう一度、頭を下げる。するとポンと手が乗せられた。
「そんなかしこまらないでくれ。僕も君が本当の娘のようだったよ」
そう言われてはにかんでしまう。
「彼も日本に帰るのだろう?」
「へ?」
その言葉に目をパチリとする。
「仙川くん。彼が言っていたよ。
『彼女の大切だと言った家を一度見てみたくて』って。そのためにわざわざ日本から来たって言ってたから…」
「あ、ああ」
その時だ。
私はあることを思い出し、動きを止めた。
「……」
「ん、どうした?」
ケリックさんは首をかしげる。
「え、あ、いえ。なんでもないです」
「ま、仲良くやってね」
「あは、あははは……」
私はこの日何度出したであろうため息を吐き出すのであった。