とある小説家の恋愛奇譚
ティーカップへ、熱い熱い紅茶が注がれる。
琥珀色の液体は、ゆらゆらと波打ち、湯気をたたえる。
仙川薫と京一郎さんが向かい同士に座り、私は近くの椅子に座った。
京一郎さんは半袖のワイシャツにネクタイ、スラックスという出で立ちで、日本からそのままきたことを表していた。
二重の目はくりっとして印象的で、しかし品性な顔立ちをしている。髪もさっぱりとしていて清潔感漂う人だ。
「………えーと、うん。とりあえず久しぶりだね、朱里。突然すまないね」
「いえ、大丈夫ですよ。お久しぶりです。京一郎さん」
「それに……薫も」
「ああ」
仙川薫は、無表情のままだ。しかし京一郎さんも彼の性格は把握しているのかそこまで気にせず、ただ眉を下げるだけだった。
「あー、もうびっくりしたよ。ここどこ探してもいないから、最後ののぞみでここに来て見たら、まさかのだ。……探したよ、薫」
「………」
「警察に連絡しなくて良かったよ。編集さんがもうおいおい泣いていたよ」
「……後で連絡入れておく」
「全くだよ、薫。お前は確かに大人で、1人身で自由かもしれないけど、迷惑をかけるやり方を間違えちゃ駄目だよ」
「……ああ」
あの、仙川薫が、怒られている。そして反論できずにいる。これはひょっとしたら貴重な光景かもしれない。
なんてことを考えていると、兄は両手をギュッと握って、仙川薫を心配そうに見つめた。
「なあ薫。なにがあったんだ。僕にも相談できないことか?」
「………」
「三週間も行方をくらませてたんだ。なにかあって、抱え込んでるなら、話してくれ。もし僕に原因があるなら尚更だ」
「………」
仙川薫は、それでも答えない。
「お前の親友なんだから、少しでも力になりたいんだ」
その言葉に、仙川薫はピクリと体を揺らした。
彼は、京一郎さんへ目線を上げる。その目は、私が京一郎さんと電話をした時と同じ色をたたえていた。
二人は、じっと見つめ合う。
じりじりと、じりじりと。
ーーしかし、仙川薫はまた目を下げた。
まるで、なにも言うことはないというように。
その反応に、京一郎さんも溜息を吐く。おそらく彼は梃子でも答えないだろう。
そんな二人のやりとりを、特に仙川薫を見ていた私は、ぼんやりと、しかしはっきりと感じ取ってしまった。
それはある意味一目瞭然だった。
彼が、逃げて来た理由を。
京一郎さんをわざわざここまで来させて、迷惑をかけさせた理由を。
そのつらさに、全てを投げ出して叫びたくなる気持ちに。
ーーー今、目の前に一人の報われない男がいる。
自然と、私の口から言葉が漏れた。
「……京一郎さん、なにも仙川薫だけのせいじゃないよ。私だって京一郎さんに聞かれた時嘘ついたんだから。京一郎さんに迷惑かけたのは私もだから……謝るわ」
仙川薫が、こちらに顔を向けた。そして、私を見て少し驚いた表情を浮かべた。私の言葉と目で、彼は私が気づいてしまったことに気づいたのだろう。その顔に、なぜか私は苛立ちを覚える。
「仙川薫だけのせいじゃ、ないわ」
「朱里……」
京一郎さんは、苦笑して肩から力を抜いた。
「ま、こうして無事にいたなら文句は言えないな……薫。今更だけど、俺の妹の朱里だ。朱里、彼は僕の大学自体からの友達の、仙川薫」
仙川薫は静かに言った。
「シュリ。ここに置いてもらったこと、感謝する。ありがとう」
「……別に」
「それと……すまない」
その言葉に、私はわざと明るい声で返した。
「ほんとよね、三台も家電製品壊して置いて」
「それは不可抗力だ」
「なにがよ、ばーか」
「馬鹿とはなんだ」
そんな私たちのやりとりを、京一郎さんは珍しいものを見るかのように眺めていた。
「二人とも、仲良いんだな」
「どこがよ!」
「全くだ」
すると、京一郎さんはくすくすと笑う。
「いや、朱里がそんなに声を荒げてるのを聞くのが初めてでな。薫も薫で」
「んな……ん、んん。そんなことないと思いますけどね」
「そうだぞ、京一郎。こいつが怒る時は酸性濃度百%の唾を飛ばすからな」
「あんたのせいでしょうが!」
そんな軽口を言う仙川薫の顔は、もう穏やかなものだった。
けれど、寂しさを含む微笑に私は知らない胸の痛みを覚えていた。