とある小説家の恋愛奇譚
「はいその場で待ってて」
彼の背は高かった。私の頭が彼の肩近くなのだ。全身ぐしょぐしょで、玄関にはポタポタと水滴の垂れる音が響く。
「タオル持ってくるから、コート脱いでて」
私は先に玄関を上がりまっすぐバスルームへ行った。風呂に熱いお湯を貯めるため蛇口を全開にひねる。タオルを持って再び玄関へ。
彼は言われた通りコートを脱いで待っていた。
「はい、タオルで軽く水とって……コートちょうだい」
受け取るコートは水を含んでずっしりと重たい。ポタポタと垂れてくるので脱衣所へ駆け込み、取り敢えずハンガーにかけて風呂場の中に吊るした。
彼を玄関から上げて風呂場へ直行させた。
「取り敢えずここで脱いで、服は洗濯機に入れて。シャワー浴びてあったまって、風呂の蛇口はいい頃合いで閉めて。バスローブをカゴに入れとくから上がったらそれ着て」
ぴしゃりと扉を閉め、ふぅ、と息を吐いた。
人を家にあげるのは久しぶりである。
リビングの扉を開くと、いつもの匂いが私を出迎えた。薄暗い部屋の中、雨の音だけが囁くように聞こえる。
暖炉の火を起こして、ホットジンジャーを作っているとがちゃりと扉が開き、彼がリビングにやってきた。
「あったまった?暖炉の近くの椅子座って。でちょっと待ってて」
彼は言われた通りに行動した。
やかんのお湯を沸かしていると、キッチン越しに暖炉の火に当たる彼の影がゆらゆらと壁に映る。灯火で、その横顔を見てそこまで歳をとってはなさそうだ、とうなづく。
少し伸びた髪、まっすぐ通った鼻筋と形の整った唇。切れ長だが二重の目。
美形となれば、これは世の女はほっとかなさそうどな、と1人納得する。
で、なぜこの家の塀に座るかは意味不明だが。
ホットジンジャーを入れたマグカップ二つを持って彼の近くの椅子に座った。足で暖炉にぎぎぎ、と近づける。
「はい、ホットジンジャー」
渡せば、彼はマグカップを両手で受け取った。大きくて骨張っていて、男らしい手つきである。
さて。
「名前は?」
「………………仙川 薫」
「どこから来たの」
「……………日本」
「何歳?」
「………………二十七」
「身一つできたの?」
「……………途中で盗まれた」
「んな……………」
彼はホットジンジャーを一口飲んだ。
「……………あつい」
「火傷気をつけてね」
ふっ、と彼は軽く息を吐いた。
「…………ここまでどうやって来たの?」
「飛行機」
「そうじゃなくて、わざわざこの家までどうやって来たの?」
すると彼はもう片方の手に握っていた紙切れを見せた。それは手紙ではなく簡素なメモでーーこの家の住所が書いてある。走り書きだった。
「これを見て来た」
彼はこれ以上答える気は無いという風にマグカップを傾ける。
この家の住所が書いてあるものは、そうそう無い。ということは、やはり私、あるいはアンナの血縁関係者にあたる誰かからの情報か。すなわち彼はその知り合いである、と。
………結局彼はこの家に何の用があったのだろうか。
「拾って欲しくて来たの?」
「拾って欲しくて来た」
意味がわからん。私はその紙切れを彼に返した。
「せめて、なんでそんな気分になっているのかは教えて欲しいんだけど」
「………………別に。なんとなく」
「答えになってない」
これも答える気は無い、か。
「言っとくけど、今はこうやって家にあげたけど……それはあなたが雨に濡れていたからであって、ここに住まわせるとかは一切考えてないんだからね」
本当にただ拾っただけなのだ。
彼がその行為だけに満足したのかはわからないが。
彼は何も言わなかった。パチパチとなる暖炉の火を見つめている。
嬉しさはもちろん、悲しみや憂いなどの感情が一切現れていない、無機質な表情。整った顔立ちだけあってそれは見るものをゾッとさせるものでもあった。
「……………最終質問、仙川薫、あなたは私に拾ってもらって、それからどうしてもらいたいの?」
長い沈黙だった。私も暖炉の火を見つめながら、何が帰ってくるかを待つ。
「…………………慰めてほしい」
顔を火から背け、こちらに向いた。
初めて真っ正面から彼はこちらを見た。
「あんたが、俺を慰めてくれ」