とある小説家の恋愛奇譚
さて。
一友人の結婚式で、「文学界の申し子」と呼ばれているらしい仙川薫がスピーチをした場合、会場はどうなるのか。
「おい、あれって仙川薫だよな」
「すっげえ、あいつ有名人と友達だったんだ…」
「うらやましー」
「あとでサインもらおっかなー…」
私は会場の壁によしかかり、少しざわつく中をぼんやり眺める。ステージ上にいる京一郎さんは、誇らしげな顔というよりは、幸せそうな、嬉しそうな顔である。
仙川薫のスピーチは普通に大成功。拍手喝采を浴びる中、彼はいつものイケメンスマイルで礼をする。頭を上げた瞬間、昨日せいだろうが彼と目があった。そしてマイク前から消えても尚、拍手は鳴り響く。
「あら、朱里ちゃん?」
声をかけられて振り向けば、京一郎の叔母が歩いてやって来た。着物を着て簪を頭にさしている。
「お久しぶりです、篠原叔母さん」
私は一礼した。
「和音から、こちらに帰ってきたって聞いたわよ。元気だった?」
和音とは京一郎の母で、篠原叔母さんーー美由子さんの妹だ。
「はい、お陰様で」
笑顔で答えれば、彼女は目を細める。
「立派になったわねえ…大学にまた通うんですって?」
「はい」
「頑張ってね。応援してるわ」
「ありがとうございます」
「……」
しかし、篠原叔母さんはまだ何か言いたげだった。
「……あの、朱里ちゃん」
「はい」
「私が言うべきことじゃないのはわかってるけれど……その、もう、あなたは自由なのだからね。たくさん、頼って大丈夫なのよ」
「………」
「あなたの意思で動いて大丈夫になったんだから」
叔母さんは、心配そうな目でこちらを見つめた。私は苦笑する。
「……はい。お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。むしろ京一郎さんには本当に感謝してます」
その言葉に、叔母さんと私はステージ上の京一郎さんに目をやる。
「彼も、本当に立派になったわねえ…ご友人があの仙川薫なんて言われた時はまあびっくりしたわ」
「あはは、そうですね」
たわいもない話を数分していると、篠原叔母さんは声をかけられた。見ると、相原夏樹さんのご両親と妹さんがいて、一度だけ顔を合わせたことがあった私は軽く会釈した。篠原叔母さんとご両親はお話を続け、妹の日和さんはこちらへ話しかけてきた。元気で活発そうな子である。
「こんにちは、朱里さん」
「こんにちは」
普段呼び捨てで呼ばれるので少しこしょばゆい。
「朱里さん、大学に受かったってこの前聞きましたけど、どこの大学行くんですか?」
「T大の、美学部に。編入なんだけどね」
「え!編入試験て、すごく難しいじゃないですか。朱里さん、とっても頭いいんですね」
「そんな。ただイギリスに留学してた時の論文が評価されただけで…日和ちゃんも、今年から大学生でしょ?」
「はい!といってもそんな大それたところじゃないんですけどね」
「でも、大学生活満喫できるなら、いいんじゃない?」
「そうですね。謳歌したいです」
楽しげに笑う彼女を見ると、そんな風に笑えたらなと少し羨ましくなる。
京一郎さんのように幸せそうに笑えたら。
いや、幸せそう、じゃなくて、幸せだから笑えるのか。
じゃあ、私は不幸せなのだろうか。
「…朱里さん?どうかしました?」
「へ?」
ふと我に帰り、きょとんとした彼女に慌てて笑い返した。
「なんでもないよ」
仙川薫は、不幸せなのだろうか。