とある小説家の恋愛奇譚
5,成宮朱里は見た
10月。
大学内はもみじやイチョウの葉が色づき、気づけば、秋はあっという間に訪れていた。
長い夏休みを終え大学が始まり、私、成宮朱里も再び大学へ通う日々を送っていた。
秋といってもまだまだ暖かく、半袖にパーカーにジーンズという格好で普通に外を歩ける。それでも幾分過ごしやすくはなったのだが。
「ねーあれって……」
「えー、まさかでしょ?……」
大学の校門近くがざわついている。何だろうかと思いつつ、嫌な予感がした。
「仙川薫、誰か待ってるっぽい?」
「彼女かなー」
仙川薫という言葉に私は足を止める。
…うん、聞かなかったことにしよう。
確認のため、ちらりと校門に目を向ければ、スーツを着てサングラスをかけて優雅に立ってる高身長の人が。
しかも後ろには高級車………。
もちろん、私は回れ右をした。
今日は裏から帰ろうかなー。
「おい、朱里。遅かったな」
……………………。
びくりと足を止めたのが最後。
「今日は帰りに寄りたいところがある。付き合ってもらうぞ…ておい、聞いてるのか朱里」
「……ダ、ダレデスカソレ」
ああ、遠巻きに見ている人たちの中に今すぐ入りたい。
カタカタと振り返れば、彼はくつりと笑った。サングラスを外して、たたんだそれでこちらを指す。
「馬鹿だなお前。名前呼ばれて反応した時点で、それが本人に決まってるだろう」
仙川薫の、三分クッキングー♫
1、イケメンオーラを振りまいてシュリに近づきます!
2、抵抗するもあっけなく、首根っこを掴まれてズルズルと車へ!
3、それでも抵抗をする朱里を、全然気にせず助手席へぽいっ!
4、車を発進させまーす!
「なんでいつもまともな現れ方しないのよ!」
「あれ以外どの方法があるんだ」
「あんた有名人って自覚ないの?!」
「なにを。俺はしがない一般市民だ」
「なら小市民を目指しなさい!しょ、う、し、み、ん!」
私はどっと息を吐く。
「しかも、校門の真ん前に車止めるとか……」
ーー事を遡れば、三週間前。
結婚式以来会っていなかった彼が突然、今日と全く変わらない感じで私を連れ去り、(次の日からの大学内での視線が痛くなったのは言うまでもない)向かった先は仙川薫宅。当然の如く、高級住宅街の中の一軒家。
中に入れば、それはもう馬鹿でかい広さの開放感あふれるリビングーーー
などではなく、一体どうしたらここまでなるのか知りたいぐらいの本とゴミの山。本、本、ゴミ、本、本、ゴミ、ゴミ、ゴミ、本、みたいな。
あんぐり口を開ける私をよそに、彼は淡々とと言い放つ。
「来週から始まる連載で、登場人物が料理をしながら推理するというミステリーものを書くことになった」
「………はあ」
「と、いうわけで朱里。手始めにアップルパイを作ってくれ」
「……へ?」
アップルパイ?
「ああ、もちろん部屋の掃除から始めてもらって構わない」
「……いや待って。普通に状況が理解できないんだけど」
「給料は連載の印税八割。まあ有名な雑誌だからな、それなりに金は入るだろう。悪くない条件だと思うが」
「あのー、仙川薫さーん」
「なんだ」
彼の顔を見て、私はにこやかに告げた。
「ホームヘルパーさん、雇いましょうか」
すると、仙川薫もにこやかになる。
「断る」
「なんでやねん!」
「……お前漫才師になる才能あるんじゃないか」
「いりませんそんなもの!」
「……ふむ。何が不満だ?」
「私は普通に忙しいんです…!だからアップルパイだの部屋の掃除だのに付き合ってる暇はありません。はいそういうわけでさようならー」
「おいまて朱里」
くるりと玄関に向けた身体をがしりと掴まれる。
「は、な、し、て!仙川薫!」
「まあ話は最後まで聞け。お前を雇おうと思ったのにはちゃんと訳がある」
「どんな訳だろうとお引き受けしません」
「昨日、京一郎から電話があってな」
「………」
その言葉に、私はしぶしぶ抵抗を止めた。
「俺が基本的に人の手作りが駄目だってこと、前に話しただろう。それで考えあぐねていたら、京一郎が「朱里の作る料理はどれもすごくおいしいぞ」とな。確かに、イギリスで食べた時も思ったが、お前の料理にはなんでか知らんが抵抗がない。そのことになんで俺は早く気づかなかったのだろう激しく後悔した。なので、早速お前を連れてきた訳だ」
「………」
「それと京一郎が心配していた。聞けばお前、今借りてるアパート、騒音やら暴走族の徘徊地域やらで、うるさいらしいな。それで安全にちゃんと暮らせているのか心配だ、とな。イギリスで一人暮らし出来ていたから心配いらないと思うが、自分が長期出張してしまう間、念のため面倒見てくれないか、と、京一郎は言っていた」
「………お言葉だけでも気にかけてもらってありがとうございます。ですが、間違っても、あなたの家の家事及び執筆の手伝いをするつもりは御座いません。というわけではいさようなら」
「まあ待て」
「これ以上待ちません!」
帰ろうとする私の肩をがしりと掴み、またもや留めさせようとした。
「なんですか、これ以上京一郎さんの名前を出しても止まりませんからね!」
「ああ、京一郎からの伝言はあれだけだ」
「じゃあなんですか!」
ムキになって振り向けば、呆れるくらいの堂々とした表情で、上から見下ろされる。
「俺はもう三日、飯を食っていない」
ーーーーあんたは子供か!