妖精の涙【完】
「悪かった」
「え?」
「あのときは悪かった」
元気のない掠れた声でそう言われ本当にどうしたんだろうと思い、今度はトントンと背中を優しく叩いた。
子供をあやしたことはないけど、こうすると安心すると本に書いてあったのを思い出し、大の男相手にやってみるとさらにきつく抱きしめられた。
「あの…?」
「…馬車で」
「馬車?」
「馬車からおまえが落ちたとき、俺は生きた心地がしなかった」
ああ、あのときか、と思い出す。
ギーヴはリリアナを守るために彼女を優先し、その結果、無防備だった自分が攫われてしまったあの事件。
そんなこと気にする必要ないのにな、と思った。
「何言ってるんですか。それがお仕事なんですからギーヴさんがリリアナ様を優先したのは当然です」
「っ…!」
さらに猫背になったせいで彼の頭が低くなり、体重も傾いてきて重たくなってきた。
自分がベンチに座っているからなおさら彼はその体勢が辛いはずだと思い、頑張って立ち上がると支えを失った体が後ろに傾いたため慌ててずらしウッドテーブルに腰を預けた。
腰に来た衝撃に顔をしかめつつ、まだしがみついてくる彼がいよいよ心配になってきた。
「…後悔してるんですか?」
そう言うと彼がハッと息を飲み、肩を掴まれて顔を覗き込まれた。
その辛そうに歪ませた深緑の瞳が妙に発光しているように見えて、曇った薄暗いこの場では幻想的だった。
このまま吸い込まれてしまいそうだと思った。
「たぶん、してねえと思う」
「はい。リリアナ様をお守りすることができましたし」
「だが…おまえのあのときの顔を見たら心がざわついた」
「顔、ですか?」
え、どんな顔してたっけ。
驚いてはいただろうけど、そんな思いつめるほど変な顔してたかな。
「あのとき…おまえはホッとしたような顔から慌てた顔、苦しそうな顔、焦点の合わない顔…いろんな表情をあの一瞬でした」
うわー、全然覚えてない。
確かにリリアナの安全が確保されたのがわかり、苦しくなり、視界もぼやけ始めた気がするが…
普通の反応じゃないのかな。
「問題はその後だ…誰かに引きずり降ろされる直前、おまえは笑ってたんだ」
「え?」
身に覚えがなくて素っ頓狂な声が出てしまった。
「やっぱり無意識だったんだな…」
「笑ってたんですか?なんででしょうね」
と、のんきに返すといきなり両肩を掴まれて後ろのテーブルに強引に押し倒された。
でも痛みはなくて手加減してくれたのがわかる。
とっさに閉じた目を開けると、彼の目は完全に怒っていて、背中をひやりとしたものが流れた気がした。
「おまえは安心してたんだよ!自分が犠牲になったことに!」
なんでこんなに怒ってるのか理解できなかったけど、その気迫による金縛りから逃れることはできなかった。
彼の手は肩から抵抗しないティエナの両手首に移る。
とても大きな手だと思った。
でも、さっきまであんなに弱々しかったのに、今は燃えるように怒っていて意味がわからない。
「どうしたんですか、ギーヴさん」
「腹が立ったんだ。わからなくて…」
でもまた燃えていた炎は弱くなった。
「おまえが何考えてんのかわかんなくなって腹が立ったんだ。なあ…」
いきなり項垂れた彼の悲痛な囁きがすぐ近くにある彼女の左耳に届く。
「なんでおまえらはもっと自分のことを大事にしてくれねえんだよ…」