妖精の涙【完】
「オルド!」
「遅いぞ!」
柄にもなく声を荒げると背中をバシンと叩かれた。
「落ち着け。事情は把握したが説明する時間が惜しい。とりあえずこれを持ち出すぞ」
「どうするつもりだ」
「窓から地面に落とす」
「そんなことできるわけがないだろう!」
「だから落ち着けって。おまえも試したと思うがめちゃくちゃ固えんだろこれ。落としても割れねえし、むしろ割れた方が好都合ってもんだ」
「……クソ」
イライラとする自分とは対照的に冷静に言ってくるギーヴとの温度差を感じ自身に悪態をついた。
そして2人で結晶を持ち上げ、さっき破けたカーテンに包む。
目立たなくするためと、万が一割れたときに破片が飛び散らないようにするためだ。
「ギリギリまで下ろしたらちゃんと手え離せよ。俺も離すからな」
「ああ」
カーテンの端を持ち、窓枠に足をかけてゆっくりと外に下ろしていく。
そしてこれ以上は手で下ろせない、というところでギーヴと息を合わせ手を離した。
下からゴトン、と鈍い音が聞こえた。
そして急いで地面に下り確認すると、結晶は無事だった。
オルドは乗り気ではなかったが、ギーヴはカーテンに包んだまま地面に引きずって結晶を運ぶ。
「妖精は羽化する前にこうやって結晶のような繭を作るらしい。2晩ぐらい経てば羽化するみてえだが、こいつに関してはどうだかわからねえって言ってたぞ」
「死んでいるわけではないんだな…」
「何言ってんだよおまえは…そんで、繭になりたてんときは結晶はもっと色が混濁していたそうだが、今は顔が見えるまで透けてきてる。ということは中では少なからず何かしらの変化が起きてるっつーことだ」
羽化…
ということは、さっき見た妖精のように空を飛べるんだろうか。
「さっき世界を隔てる門が開いたらしいんだが、武器持った妖精がどっと押し寄せていきなり攻撃してきたんだと。よっぽど俺らが憎いみてえだ」
「そうだろうな」
羽や娯楽のために乱獲され消えていった仲間や家族。
その恨み辛みは3000年では払拭できないほどの深い傷で、妖精にとっては耐え難い屈辱だったが閉門することで事なきを得たものの、時代も変わりやはり穏便には済ませられないと判断されたんだろう。
オルドはそうなっても無理もない、と思った。
そしてあと少しで地下通路に繋がる倉庫にたどり着くというところで、城から轟音が聞こえ地響きが伝わってきた。
地面が揺れ思わず体勢を低くする。
振り返り見上げれば城の頂上を群がった妖精たちが占拠していた。
そして信じられないほど大きな槍が城の壁に突き刺さっており、あれが刺さった衝撃が先ほどの揺れに繋がったようだった。
実はそれは妖精王が放った矢だったのだが、それを彼らが知る由もなかった。
「呑気に口開けて見上げてる場合じゃねえぞ!」
ギーヴの声にハッとし、オルドがカーテンの端を掴んで結晶を浮かせ2人で倉庫まで走った。
上から飛んでくる壁の残骸がいつ頭に当たるともわからない。
ドスッ、ドスッ、と地面に瓦礫が落ちる音を聞きながら無我夢中で走る。
………ガツッ!
そのとき、後頭部に何かが当たり頭全体に衝撃が走った。
耳が遠くなり眩暈がする。
キーンという耳鳴りのせいで目の前で叫ぶギーヴが何を言っているのか聞こえなかった。
地面が近づき、どうとその場に倒れ込んだ。
草と地面と煙の臭いがする。
ギーヴが地面を蹴る振動も感じる。
でも体が動かない。
目の前に降ってきた瓦礫で目に砂が飛んだ。
閉じていく瞼のせいで視界が狭い。
全てがゆっくりに感じる世界の中、視界の隅には白い布。
なんだ、この布は…
それは、ギーヴから貰ったイエローコリンの見事な刺繍が入ったハンカチ。
胸ポケットに挿していたハンカチが彼が倒れ込んだせいで地面に広がってしまったようだ。
誰が刺繍したのか、ずっと気になっていた。
いや、本当はわかっていた。
なぜかその刺繍がポケットの中に隠れるようにいつも挿し込んでいた。
汚したくないのか。
誰にも見せたくなかったのか。
無意識に隠していた。
そのハンカチが、誰かの手に拾われた。
閉じてくる瞼を精一杯広げ、眼球を無理やり動かして上を見た。
そこには、刺繍を見つめる美しい女性の姿があった。