妖精の涙【完】
ちょっと作り過ぎたかな、と思っていたサンドイッチは全て無くなりバスケットが軽くなった。
水筒の中の飲み物もほとんど空っぽだ。
「いやー、お腹いっぱい」
ごろんと寝転がったケイディスが満足げにお腹をさすった。
「穏やかでいいね」
風で彼の黄金の髪が揺れ紅葉の色によく合っていた。
さわさわと静かな森の中を葉が擦れる音が響き、湖の僅かな波の音も聞こえる。
ティエナもこの陽気と満腹感で眠くなってきていた。
「あたしも眠たくなってきちゃったわ」
「お休みになられますか?」
それを聞き、持って来ていた毛布を渡しながら声をかけるとリリアナは頷いた。
「たぶん熟睡はしないと思うけど、帰るときはちゃんと起こしてね」
「はい」
「僕もお願い!」
「わかってるわよ!」
そんな離れてるから大声を出すはめになるのに、と思いつつ私はケイディスとオルドにも毛布を渡した。
「わざわざすまない」
しかし、オルドに首をかしげられた。
「おまえは?」
「私も寝てしまってはいけませんので」
すでに眠い、とは言えなかった。
「誰も気にしないと思うが」
「いえ、私が気にします」
「そうか…ならこれはおまえが使え」
それじゃ本末転倒だ、と思いながら手を振って拒否すると強引に返された。
「俺も起きているから」
「いえお休みになられてください。馬を操るのは疲れるはずです」
「慣れている」
そこで沈黙がおりたとき、寝息が聞こえてきた。
振り向けばもう2人は眠ってしまっていた。
「…速いですね」
「昔からそうだ」
寝顔がそっくりだった。
それからオルドに振り向くと、やはり似ていないと思ってしまった。
真逆の色。
「まあ、とりあえず座ってくれないか」
「あ…申し訳ございません」
頭が高いとはこのことで、ずっと立ち上がって話をしていたため座っているオルドはずっと見上げる体勢になっていた。
すとんと僅かに隙間を開けて左隣に座る。
「…」
何を話すわけでもないらしく、自分だけが緊張しているのがバカらしくなってきた。
膝を抱えて座り湖面をただただ眺めた。
水の向こうの世界。
そこには誰もおらず、紅葉と青い空だけを映していた。
人間のいない向こうの世界はどれぐらい静かなんだろう。
「…あっ」
「静かに」
ふいに、草影から現れたのは鹿の親子。
仲間とはぐれたのか、ただここの水が飲みたかっただけなのか、その2頭だけ現れた。
思わず声をあげるとオルドに注意され口をつぐんだ。
湖に口をつけ母親が水を飲むと、子供が真似して飲もうとするが顔半分以上を突っこんでしまい鼻に水が入ったのかケフケフと咳をしている。
その様子を母親は心配そうに見つめていた。
「ふふっ」
思わず笑ってしまったが鹿たちはこちらにお構いなしに水を堪能した後、ゆっくりと去って行った。
緊張の糸が切れ息をするのも忘れて見ていたような感覚だった。
急に息苦しさを感じる。
「いいものが見れた」
「はい」
「野生動物はたくましい生き物だ」
そして、自分で生きる場所も死ぬ場所も選べる。
「…羨ましいです」
「なぜそう思う?」
何気なく呟いた言葉にオルドが反応しハッと我に返った。
隣をちらりと見てもこちらには向いていなかった。
「…自由だから、だと思います。人間はやらなければならないことがたくさんあります。理不尽な理由で不利益なこともやるときもあります。でも動物は…本能に従って生きています。つまりそれはやりたいことができる、ということなのだと思います」
「確かに人間は生きづらい」
オルドは静かに言った。
「無意味な殺傷をする者もいれば、虫すら殺せない者もいる。人道を外れた者は罰せられ、人道に従う者は秩序を保つ…自分の思想が常識から外れるかそれに沿うかで途端に生きやすさに差が生まれる。おまえにとって人間は生きづらいのか?」
「…どうでしょう」
問われたが、そんなこと考えたこともなかった。