妖精の涙【完】
「でも残念ね、傷が残ってる」
ティエナの右目の上には傷跡が残ってしまい、そのせいで前髪の長さが揃えられなかったのだ。
こんなに目に近い位置が切れていたのに全く気付かなかったことに、さっき鏡を見たときに驚いた。
お風呂に入ったときも全く沁みず、完全に傷が塞がっているようだった。
「でも、オルド様のおかげです」
今ここでこうしていられるのは…
「ところで、私はどれぐらいここで眠っていたのでしょうか?」
日付の感覚が全くなく、窓の外を見ると紅葉が終わっていることに気づきずっと気になっていたことだった。
リリアナも以前までは喪服姿だったのにいつの間にか普段の恰好をしている。
その服装は冬服で、外気が低くなっていることが窺えた。
リリアナに何気なくそう尋ねると眉をひそめられ、あまりいい返事ではないことがその表情で予想できた。
「…3週間よ」
その答えに耳を疑った。
3週間…
そのあまりにも長い期間に驚いた。
せいぜい1週間程度だと思っていたのにそんなに経っていたとは夢にも思わず、絶句したといってもいい。
声も出ないその様子にリリアナは申し訳なさそうに肩に手を置いて声をかけた。
「あたしも早くに気が付けばよかったのよ…医者にもらった薬をおかしいと思って調べさせたら睡眠薬と精神安定剤が大量に調合されていたわ。下手をすれば意識がそのまま朦朧として寝たきりになっていたか、薬物中毒になっていたかもしれない」
「そんな…」
だから薬を飲まないようにしてからの数日は一番調子が悪くて、泣きたくなったり気持ち悪くなったりして自分の感情を制御できなかったんだ。
彼女を拒絶した日もあり、自分が恐ろしく感じたときもあった。
「だいぶ顔色も体重も戻ってきているけど油断は禁物よ」
それでも優しく抱きしめてくれた彼女に涙を流した日をずっと忘れない、とティエナは強く想った。
「はい…本当にありがとうございます」
涙目になりながらそう言うと額を軽く指先で押された。
「何言ってるの。まだまだ働いてもらうわよ」
「はい…!」
呆れたような、照れたような、そんな表情で言う彼女が愛しく見えて今度は自分から抱きしめた。
「な、何よ急に!」
「申し訳ございません。今だけ、今だけです…」
看病してもらったことなんてなかったため感極まって抱きついてしまった。
目が覚めたときに誰かが必ずいる経験なんてこれまでなかったのだ。
オルドにもお礼を言いたい。
そう伝えるとリリアナは首を横に振った。
「それは難しいわ…今はもう国王になったし、人前ではもう陛下って呼ばないと変な空気になるぐらいよ」
妹でも人前では陛下、と呼んでいるそうだ。
「それにあなたは評議会に目をつけられているから、よほどのことがない限りは会えないと思う」
「評議会…」
何をしている団体なのかはあまり知らないが、自分を採用したのは評議会だというのは合格通知の書類に書かれていたから知っている。
国王の仕事以外の細々としたところを担当しているのだろうか。
「でも安心して、あたしがなんとかしてみせるから」
「リリアナ様?」
「評議会には知り合いがいるのよ」
「そうなのですか?」
「ええ。その人に頼んでイエローコリンの種をもらったの」
そうだったのか、と納得したけど、そのような存在がいたとは全く気が付かなかった。
「ずっと別のところにいたんだけど、今回のことで城に戻ってるはずだから今度紹介するわね」
さああなたはもう寝なさい、とベッドに軽く肩を押された。
「おやすみ、ティエナ」
「はい。おやすみなさい、リリアナ様」
電気が消え、彼女がドアを閉める音を聞き、カーテンに差し込む月の光を浴びて白く見える飾られたイエローコリンを眺めた。
「3週間、か…」
あの日のことを昨日のように思い出せるのに、3週間も前の出来事だったなんて。
…うん、忘れてない。
目を閉じれば思い浮かぶ、湖と紅葉。
鹿の親子。
すぐ近くにあった闇色の目。
と、そこまで思い出して慌てて布団を被った。
もう、ああやって会えないんだから。
あのときの出来事は胸に大事にしまっておこう。
「…宝物」
リトルムーンの花言葉を思い出して口角が自然と上がった。
そう、宝物だ。