妖精の涙【完】


「…痛い」


額を壁にぶつけて飛び起きた。

なんだなんだと見回すとリリアナが足元にしゃがみこんでいた。


「リリアナ様…?」

「しー…」


黙るように合図されそれ以上喋らず、手招きの通りに同じように足元にしゃがみ視線の高さを合わせた。

隣からコソコソと話しかけてくる。


「迂闊だったわ…襲われた」

「おそ…!」


襲われたなんて!

驚きで全ての言葉を口にすることができなかった。


「正確に言えば、王女であるあたしの存在に気づいていない輩がこの馬車を止めたにすぎない。でも、急ブレーキをかけたということは道を塞いでいるということよ」


迷惑だわ、とリリアナは静かに言ったが気が気ではなかった。

もし馬車のドアが開けられたら、リリアナの正体に気づく人がいるかもしれない。

そうなった場合、相手が反フェールズだったら彼女が捕まってしまう恐れがある。


「ギーヴと運転手が対応してるけど…この馬車は普通の馬車だし襲われる心配はないと高を括っていたのが間違いだったかしら」


舌打ちをしそうな勢いで言うものだからよほど虫の居所が悪いのだろう。

まさに苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「1分経ったかしら…争いにはなっていないみたいね」


精魂祭の間の武器の所持は認められておらず、ギーヴは丸腰。

しかもこんな森の中で、助けを呼ぼうにも他に人がいるとも限らず、こんな状況で一体どうしろというのだ。


「何が目当てなんでしょうね」


声をかけると、リリアナが突然ブレスレットを外してクッションの下に隠した。


「念のためよ。あなたも隠しなさい」

「はい」


確かにこうすればギーヴと運転手がフェールズの人だとわかっていても迂闊に手を出せないかもしれない。

自国の人かもしれないと思ったら乱暴には扱われないはずだ。


すると突然、ギーヴがドアを開けて中に入ってきた。

さっきまでと同じように馬車も動き始める。


「何があったの?」

「どうやら迷ったらしい。メイガスの連中だったが、やっと人が通ったから慌てて前に飛び出したんだと」

「危ないわね」

「同感だ」


というか紛らわしい、とギーヴは続けてぶつぶつと言ったが何事もなくてよかった。

でも確かに迷ってしまったら誰でも心細いと思う。


「ところでイケルドまであとどのぐらい…」


………バリン!!!


ティエナが聞いている途中で、いきなり窓が外から割られ煙玉が投げ込まれた。

とっさにギーヴがリリアナの上に覆いかぶさりその口と鼻を手で塞ぐ。

ティエナもワンテンポ遅れて口と鼻を塞いだが、煙が車内に充満しすでに視界が霞み始めていた。


それはそうだ。

リリアナが1番の護衛対象。

仕方ない…


足がすくみ座席のソファーに崩れもう立っていられなくなった。

腕も力が入らず体も持ち上げられず、ゴホゴホと咳が激しく出てなおさら動けなくなった。

そして乱暴に開かれたドアから伸びてきた手にあっという間に掴まれ馬車から引きずり落とされた。

地面の上を転がり擦り傷ができているはずだが痛みはなく、頬に当たるザラザラとした砂を感じつつ、遠くなる馬車と意識の中で混濁して歪む視界から逃れるように目を閉じた。

本当に一瞬の出来事だった。


「こいつで間違いないな」


まだ機能していた聴覚が拾ったのはその言葉だけで、それを最後にティエナは完全に意識を手放した。




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