姉の婚約者


「伊沢さん……ここ、どこ?」

「酒が飲めるとこ。いいから、お前の姉さん探すぞ。」

 伊沢さんの顔に傷ができてうっすら血がにじんでいる。あ、私引っ掻いちゃってたんだ。伊沢さんが、煙の中を見えているみたいに進んでいく。私は伊沢さんに腕をひかれたまま歩くしかない。不快だけどそうもいっていられないし。頼りにするしかない人の横顔を見る。

「あ、」

「どうした?」

 私のあげた声に伊沢さんが振り向く。そう、この人……。

「あなた、誰だ?」

 中華料理屋で見た人と違う……。なんで気が付かなかったんだろう。喋り方も、表情の作り方も、いや、”顔”だって。
 伊沢さん、いやその男はにやりと笑って、こう言ったのだ。

「吸血鬼さ」

これは嘘じゃない、と直感で思った。少なくともこの男がさっきの伊沢さんではないのは確かだった。私はとっさに腕を振りほどいてその場から逃げ出した。そして、だいぶ視界の良くなった店を走って姉さんを探す。
……いた!

「もう!どこにいたのよ!?」

 こんなに探し回ってたのに!

「あ、お酒注文してた。」

「バカ!もう帰るよ!」

私は姉の腕をつかんで無理やり立たせる。姉さんは不満そうな声を出すけど知ったことか!

「すぐるさんにせめてひとこと言ってから帰らないと!」

「バカ!そんなレベルの話じゃないのよ!」

 もうほんとに無理やり姉さんを引きずって店から出る。やけに強い麝香の匂いが逃がさないとばかりに追いかけてくる。雑居ビルからも走るようにして出るともう外は太陽が上り始めていた。
「……助かったんだ」

 ぽろっとこんな声が漏れる。姉さんはあくびをしながら
 
「大げさねえ。あのお店、怖かったの?」
 
 と聞いてくる。私には答えられない。だって何が起こったのかわかってないんだから、でもこのまま姉さんが結婚するのは良くないと、……思う。
 あれは、吸血鬼なの?
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