姉の婚約者
 「さあ、それも私にはわかりませんね。というよりも話題が随分唐突ですね。」

「急に聞いてみたくなったのさ。さ、行こうぜ。」

「は?どこに?」

 そう言ってひらりと寄りかかっていた車止めから立ち上がった。食べ終わったヨーグルトの容器をぶらぶらさせている。私は自分の食べかけのレーズンパンを袋にしまった。どうやら待ってくれる気はないらしい。いやだ、がひょっとしてこいつ自体は嫌な奴ではないのでは?という考えが頭をもたげるが、とにかくうざったい。これ以上どこに行くってんだよ。

「慰謝料のヨーグルトごちそうしたじゃないですか。それで勘弁してくださいよ。」

「いしゃ……?」

 あ、またポカンとした顔してる。

「お詫びですよ。怪我さした事のお詫びです」

「そうかあ。うまかったぜ。だから俺もなんかごちそうしよう」

「なんか食べさしてくれるんですか?」

「ああ、なんか前に血を飲んでみたいっつって結局飲まなかったろ?」

「嫌にきまってんじゃないです、か」

 言い切らないタイミングでパーヵーのポケットに入れていたスマホが震える。見るとそこには姉さんから

”遅いけど大丈夫?iTunesカードないんなら無理しないでいいからね。”

 もし、姉さんがこのままこの狂人と付き合い続けた場合どうなるんだろう?この人は私をからかっているだけなのか、それとも狂人か、はたまた……。

 少し、考えた。考えた結果、聞くことにした。

「姉さんの事、好きです?」

 伊沢さんがあの無邪気な顔でにっこり笑う。

「ああ! 好きだ!」



「……いいですよ。行きましょうか」

 普通、もしこれが昼間だったり私が無職なんかじゃなくて寄る辺のある会社員とかならきっと行かなかったと思う。私が行こうと思ったのはこれは私が無職でしかも真夜中の出来事だったからだ。どうなってもいい無敵感、先の見えない不安感に嫌になって自暴自棄になったのかもしれない。もしかしたら、目の前にいるこの男に少し親しみを覚えたのかもしれない。とにかく私は行くと返事をしたのだった。
「いい返事だ。名前はなんて言ったっけ?」

「ゆり子。谷村ゆり子です。それぐらい覚えてくださいよ」

「ゆり子ね。さ、行くぞ」
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