姉の婚約者
 もはや道でもないけどな。伊沢さんはビルの階段を上り屋上から隣のアパートに飛び移った。たった50cmの幅だけど怖いものは怖い、さすがに足踏みして止まる。なんでこの人は普通に飛んだんだよ。目線を下げるととんでもなく下に花壇が小さく見える。ここって地面よりも空に近いんじゃない?

「飛べねえのか?」

「そりゃ……無理ですよ」

 だって4階の高さよ?落ちたら、死。

「跨げよ」

 それたって怖い。

「いや、できな……」

「できる。飛べ」

 無茶言うなよ。抗議しようとまっすぐ前を向いたらすぐ目の前に月に照らされた伊沢さんの顔があった。あんまりにも近くて思わずのけぞってバランスを崩しかけたところで伊沢さんが私の腕をつかんで引き寄せた!

「うわっつ!!」

 私は伊沢さんの方に倒れこむと同時に無意識にバランスを取ろうと右足を踏み出した。その足はちょうど向かいのアパートのヘリに着地した。そのまま二歩進みなんとかバランスを取った。

「飛んだな」

「無茶、ですよ」

「俺が手を持っていたんだから落ちるはずがない」

「巻き込まれて伊沢さんも落ちるかもしれないじゃないですか。死ぬかと思った」

 私は無意識に空を見上げた。夏の大空に大きな満月が浮かんでいる。月ってこんなに奇麗だったっけ?

「無茶ですよ。無茶」

「お前。それしか言わないな」

 あはは。さすがに心折れたかも。

「あー。来なきゃよかった」

「喜べ。この建物が目的地だ」

「普通に来りゃよかったじゃないですか」

「地面使ってもここには来れねえ。大切なのは位置じゃなくてどうやって行くかだ」

「なんだよ。それ」

意味が分からない。

「いまにわかるさ」

 わかんねえよ。この狂人め。
 伊沢さんはさび付いた屋上の扉を開けた。その先は

「エレベーター?」

ただ一基、緑色の階層ボタンだけが光るエレベーターがあった。伊沢さんが振り向く。

「さ、降りるぞ」

「これ、稼働してるんだ」

 私たちはそのままエレベーターに乗り込んだ。中にボタンはなく、赤い裸のランプだけがぶら下がっている。私たちが乗り込むと扉はほとんど音を立てずするすると閉まり、動き出した。四角い箱の中、全てが赤く見え、今どこまで下がったのかもわからない。ひょっとしたら上に昇っているのかも。
 そんなことを考えていると、チリンと呼び鈴がなりエレベーターの扉が開いた。その先は、鉄柵?がありその先は見えない。

「ここって室内ですよね?」

 一応確認してみる。伊沢さんはどっちともつかないような生返事をした。

「まあなあ」
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