雨夜の星に、願いひとつ
半ば放心しながら、なぜ、という言葉を頭の中でくり返す。なぜ、わたしは飛びこめなかったのか。

理性や常識からじゃない。罪悪感や道徳心からでもない。

自分自身の理解すら及ばないところで、わたしが選んだのは賢二郎だった。


脳裏に浮かんでくる数々の情景。見慣れきった寝顔、たいした会話もない食卓、ほとんど同じ身長の賢二郎との、顔を上げなくてもできるキス。

そのありふれた日常を、手のひらの中の小さな小さなものたちを、わたしは捨てることができなかった。


「ごめん…なさい……」


両目からとめどなく溢れる涙が、雨粒といっしょに落ちていく。

柴ちゃんは痛みをこらえるように眉間に力を入れて、しばらく固く目をつむっていた。

それから、何度か大きく息を吐きだすと


「……やっぱりダメだったか……」


と苦しそうに笑って、その場にしゃがみこんだ。


さっきまでふたりを支配していた熱は、もう、何ひとつ溶かす力もない。川のよどみで水流から取り残された浮遊物のように、行き場もなく漂うだけ。

うつむく柴ちゃんの髪を、雨が筋になって伝っていく。濡れたシャツが彼の体に張りつき、くっきり浮かんだ肩のラインが無性に細く見えた。
< 70 / 81 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop