Smile  Again  〜本当の気持ち〜
俺は中学3年間、神奈川を離れてたから、俺が野球選手として、どんな経歴を持っているのか、全く知られていない。小学生の時、地元のチ-ムでエ-スとして鳴らしたのは事実だが、その程度の奴は、珍しくもないし、世間に広まるような存在ではない。


だから、俺がずっとキャッチャ-でしたって言えば、誰も疑う者はいなかった。俺はピッチャ-が好きだった。そのピッチャ-を何故辞めたのか、辞めさせられたのかは、既に話した通りだ。


それでも、俺には未練があった。キャッチャ-なんて縁の下の力持ちみたいな存在で、性に合わなかったし、野球の花形はピッチャ-、そう思っていた。


あのことがあって、半年ちょっと経ったころだった頃だろうか。突然俺にチャンスが巡って来た。


練習試合でのこと、先発の塩崎が負傷したため、俺が急遽リリ-フに指名されたんだ。監督にどんな意図があったのかはわからない、ひょっとしたらそろそろ時効、とでも思ってくれたのかもしれない。


「頼んだぞ。」


すれ違いざまに、塩崎がそう言ってくれた。塩崎とは全面的な和解とまでいかなかったが、まぁチ-ムメイトとして、一緒にやっていけるくらいまでにはなっていた。


練習が終わり、俺は投球モ-ションに入った。キャッチャ-として何度も受けてみて、やはり塩崎より俺の方がいいピッチャ-だ、そう確信していた。このチャンスを絶対にモノにする、俺は気合が入っていた。


だが、いざ投げようとした瞬間、今まで感じたことのない違和感というか、なんとも言えない感覚に襲われた。指先の感覚が失われてしまったような、そんな状態でまともなボールが投げられるわけがない・・・。


結局打者2人に対して、8球全てが暴投まがいのクソボ-ル。観衆や相手チ-ムからのため息、失笑とともに、俺はマウンドから追放された。


イップス、主として精神的な原因で、自分の意志通りにボ-ルが投げることが出来なくなる症状。


キャッチャーとして、どこに送球するのにも、何の不都合もない。ブルペンで遊び半分で投げたら、結構いい球が行く自信もある。


だけど、バッターボックスに打者が立った途端、右手がまるで自分のものじゃなくなったようになり、ボールをまともに投げることが全く出来なくなる。


試合はもちろん、打撃練習で投げるのも駄目だった。あの1球のビンボールがトラウマとなり、俺はピッチャーとしては完全に終わってしまった。
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